より説得力があるのは、生まれてくる子供の幸不幸という理由だ。たとえば、さきにも述べたように、第三者からの精子提供による人工授精によって誕生した子供のなかには、大人になって真相を知ってショックを受けたり、親子関係がうまくいかなくなったりする人もいる。
同性カップル、貧困家庭、独身女性…
生まれてくる子供の幸福はどうか
クローン技術を用いて子供をつくれば、生まれてきた子供はクローン元である親と同一の遺伝子を持つことになる。自分の数十年後の姿を目の当たりにすることは、子供にとっては困惑させられる経験だろう。このような場合には、親の側がどれだけ切実に子供を欲しており、生まれた子供を愛情を持って育てるとしても、生まれてくる子供の幸福という観点から、われわれは生殖医療技術の利用に慎重になるべきかもしれない。
しかし、この点をあまりに重視すると別の問題が生じる。
現在の社会では、同性愛者にたいする偏見は根強く残っている。そうだとすれば、同性カップルの子供は、奇異の目で見られ、場合によってはいじめの対象となるかもしれない。
このように考えると、生まれてくる子供の幸福という観点からは、同性カップルがクローン技術を利用することはもちろん、同性カップルが子供を持つことを認めることも難しくなる。同様の議論は、独身女性や貧しい夫婦などにも成り立つ。しかし、貧しい人は子供を持つ資格がないと考える人はほとんどいないだろう。
新しい技術を用いて子供をつくろうという人びとにたいしては、かれらがどれだけ子供を持つことを熱望していて、子供にたいして愛情を持つとしても、われわれは、技術の利用に慎重な態度をとる。
これにたいして、生殖医療技術を利用しない場合には、シングルマザーでも、カップルが貧しくても、愛情を持って子供を育てる可能性が低くても、子供を持つことを妨げようとはしない。子供をつくることにかんするわれわれの態度は、それほど一貫しているようには見えないのだ。
生殖医療技術から見えてくるのは、「子供を持つための条件」は存在するのか、存在するとしたら、それはなんなのかという問いだ。しかし、その答えはそれほど明らかではないのだ。