作家・佐藤愛子は45歳の時、著作『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞した。小説家としてはこれ以上ない誉れのはずが、受賞の知らせを聞いたとき、彼女は素直に喜ぶことはできなかったという。その複雑な思いとは――ー。※本稿は、佐藤愛子『老いはヤケクソ』(リベラル社)の一部を抜粋・編集したものです。

苦節20年の末の
直木賞受賞

 昭和44年夏、私は『戦いすんで日が暮れて』という小説で直木賞を受賞した。45歳。小説を書き始めてから20年目に漸く私は認められたのである。

佐藤愛子さん佐藤愛子さん Photo:JIJI

「戦いすんで日が暮れて」は43年の秋、『小説現代』の注文で原稿料ほしさに書いたもので、倒産の経験を下敷きにした作品である。

 受賞の報せは、たまたま親友の川上宗薫さんの病気見舞いに出向いた虎の門病院梶ヶ谷分院で受けた。その頃、梶ヶ谷はまだ原っぱや田畑が多くて私は道に迷い、日が暮れかける頃漸く辿り着くと、ナースステーションでガーゼの寝巻姿の川上さんが電話口に出ていた。川上さんは入って行った私を見るなり、

「おい、何やってんだ、受賞したぞ!」

 興奮して叫んだ。私の行方を捜して、方々から川上さんのところへ問合せの電話が入っていたのである。

 一瞬、私は「あッ」と思った。「やっぱり来たか!」と思った。

 私はこうなってほしいと思う時には、決してなってほしいようにはならず、こうなっては困る、と思っているとそうなってしまうという尼介な運命の持主である。

「戦いすんで日が暮れて」

 が直木賞候補になったことを知った時、私は「もし賞が来たら困る」と思った。賞を取った作家にはどっと小説の注文が来るという。