大正生まれの小説家として、これまでさまざまな作品を世に送り出してきた佐藤愛子氏。101歳を迎えた彼女が、これまで映像化されてきた自身の作品について語る。※本稿は、佐藤愛子『老いはヤケクソ』(リベラル社)の一部を抜粋・編集したものです。
100歳を超えてわかる
友人を見送る気持ち
100歳を過ぎるあたりから、体力がだんだん衰えてまいりましたんでね。そうすると、いろんなことに対する意見もなくなってくる。

体力がなくなると、違ってくるんですよ。若いときみたいに、1つのことについて真っしぐらに喋るっていう勢いがなくなってきましてね。この前いったことと違うじゃないかっていわれる。そういわれても、そうだったかなと思うだけで。前は体力があったからなんでもなかったようなことが、いまは堪えられなくなっている。考えてみれば、自分はもうヨレヨレになって、昔のように世間に対する文句をいう資格がなくなっているんだと、沈黙するしかないんですよ。
いまはね、孫みたいに通訳する者が間にいませんと会話にならないんですよ。そういえば、ずいぶん昔、名古屋にきんさん、ぎんさんという100歳の双子姉妹がいらしたわね。覚えていますよ。あのころは珍しかったけど、いまは100歳の人なんて珍しくないでしょう。こうやって受け答えがきちんとできる100歳の人はあんまりいないかもしれませんが。
年を取れば取るほど、友だちがどんどんいなくなっていく。親や兄弟がいなくなるのは、年の順だから、先に死なれても仕方がないと思う。だけど、学校の同い年の友だちがね、仲よく青春時代を悪で通した相棒たちがきれいにいなくなる。