私が川上さんにいった「どうしよう!」という言葉には、友達だけにわかる前述したようなもろもろの思わくが籠っていたのである。川上さんはベッドの上にアグラをかいて、暫く考えてからいった。
「しかし、カネは入るぞ」
あッ、と私は思った。そうだ、カネ!
私には金が入用だった。私はそれを忘れていた。私の肩に山のようにかかっている借金。それは直木賞を貰うことによって返していけるのだ!それで私はいった。
「お受けします」
そういった時、恥かしさとこれからくるものへの不安がどっときた。受けた以上、私はその場から新橋第一ホテルの記者会見に臨まなければならないのだった。
ベッドの上にアグラをかいて私を見守っている川上さんの姿は、今でも昨日のことのように私の瞼に残っている。その時川上さんの着ていたガーゼの寝巻の柄と、その腰を縛っている紐の柄が違うものだったことも。
私はまるで家族から引き離されて、別の世界へ連れて行かれる子供のような、心細い悲しい気持でいっぱいだった。ここに残って、2人で食べようと思って持ってきた稲荷ずしを川上さんと食べたかった。
「じゃあね」
というと川上さんは、
「うん、行ってこいよ」
と兄貴のように答えた。川上さんは芥川賞候補4回という記録をうち立てており、この次候補になったとしても受けずに辞退して、更に記録を更新する方へ向う、などとふざけている人だった。
尊敬する大作家から
思いもよらぬ後押しも
新橋第一ホテルの記者会見の席で、私は私をとり囲んでいる記者たちの後ろに、文藝春秋社のニヤリスト星野のニヤニヤ顔があるのを見つけた。私の胸に受賞の感激がこみ上げてきたのはその時である。
一瞬、私の脳裡をニヤリスト星野に下手な小説原稿を持ち込んだ日々が掠めた。ニヤリスト星野のニヤニヤ顔が涙が出るほど懐かしかった。ニヤリスト星野から、
「おめでとう」
といわれて、はじめて嬉しさがやってきた。『小説現代』に「戦いすんで日が暮れて」を書かせてくれた副編集長の大村彦次郎さんのニコニコ顔を見た時も、(この人はニヤニヤではなく、いつもニコニコしている)ああこの人に喜んでもらえるようなことになってよかった、と心から思った。
更に嬉しかったのは私の受賞は反対意見が少くなかったのだが、松本清張氏の強力な発言で大勢が決ったということを知らされた時である。