弟こそ雨が降る前になぜ自分ではなく、兄が抱かれていたか理解できなかったかもしれませんが、兄は弟が抱き上げられた時、自分が「冷遇」されたと感じたわけです。

 ただし、同じような状況に置かれた子どもが皆、王座から転落したと思って嫉妬するかというとそうではありません。実際に愛されなくなったのではなく、自分は前のようには愛されなくなったと「思った」ということです。石は手から離れたら必ず落下しますが、王座からの転落は「心理的下降」(『子どもの教育』)なのです。アドラーは次のようにいっています。

「子どもたちにおいては、嫉妬はほとんど常に、とりわけ下に弟や妹が生まれ、親の注目がもはや自分には向けられず、兄や姉が王座から転落した王子、王女になる時に見られる。以前は快適な暖かさの中ですわっていた子どもはとりわけ嫉妬する」(『性格の心理学』)

冷遇されたと感じたとき
子どもに変化が訪れる

「快適な暖かさ」がなくなり、もはや自分が注目の中心ではなく冷遇されていると感じると、親や弟、妹に嫉妬します。親は本来自分だけを愛すべきなのに、他のきょうだいを愛するのを許せないと思うのです。もちろん、親は兄や姉を愛さなくなったのではありません。弟や妹の面倒を見なければならず、そのため前のように兄や姉の世話をできなくなっただけですが、兄や姉はこのことを理解できないのです。

 それまで、自分がいわば王子、王女様だったのに、後から生まれてきたきょうだいに王座を奪われて王座から転落し、自分が冷遇されていると感じます。子どもは、後から生まれたきょうだいに「ほとんど常に」嫉妬するとアドラーはいっています。「必ず」嫉妬するわけではないということです。

「快適な暖かさの中ですわっていた子ども」というのは、甘やかされていた子どもという意味ですが、親は必ず第一子を甘やかすわけではありません。親にとっては初めての子どもなので、後から生まれてくる子ども以上に時間もエネルギーも第一子にかけ、実際、甘やかした親もいるでしょうが、そうであっても、第一子が甘やかされて育ったために、必ず嫉妬するわけではありません。