第13代当主が
「伝統工芸」という言葉を嫌う理由
中川政七商店は長らく卸業を主体としていた。店舗から求められる品を提供する「マーケットイン」型の業態である。
中川氏は、京都大学を卒業後、富士通でシステムエンジニアの道を歩んでいた。父親が経営する同社に転職してきたのが2002年。当初の様子を、中川氏は次のように語る。
「わたしが当社に入った当時はまだ卸事業が主体でしたが、実は布製品ブランド『遊 中川』のお店を奈良に2店舗、東京に1店舗出していました。といっても、直営店ではなくショールームのような位置づけに過ぎず、このままだといつまで経ってもお客さまにはブランドとして認知されないだろうなと感じていました。ではどうすればいいのかと考えた末、直営店を持つことで、自分たちで直接お客さまとコミュニケーションをとる状態を作っていこうと決めました」
こうして、同社は顧客に直接販売するSPAに進出していく。当時、第12代当主だった父親は当初反対したが、中川氏の決意は固かった。それは、ものづくりを通じた市場創造への強い思いに裏打ちされたものだった。
そのようなアプローチを、中川氏は「ブランディング」と呼ぶ。マーケットインに対して、「マーケットアウト」と呼んでもいいだろう。ただし、それはゼロベースで自由奔放に発想することではない。中川氏は、「温故知新」こそがカギだと言う。
「当社のものづくりの基本的な考え方は『温故知新』です。ものが生まれた背景や歴史をきちんと理解した上で、今の生活に合うように多少の修正を加えることが、ものづくりのやり方だと考えています」
「温故知新」は孔子の教えだが、むしろ「温故創新」と読み換えてもいいかもしれない。単に知るだけではなく、工芸、すなわちつくることこそ、同社、そして日本流の真骨頂だからだ。中川氏は「伝統工芸」という言葉を嫌う。その理由を次のように語る。
「伝統工芸と聞いて消費者がまず思い浮かべるのは、例えば着物なんですよね。でも当社で扱っている布製品はハンカチやふきんなどですから、消費者の認識とは大きなズレがあります。それを解消するために『伝統』を外したというのが1つめの理由。
それから、『伝統』という表現はある意味産業に対する侮蔑だとわたしは思っているので。自動車産業は100年以上続いていますけど、だれも『伝統自動車産業』とは呼ばないじゃないですか。『伝統』が付く産業というのは、もう進化が止まって廃れていくと見なされたものではないかと思うんです。工芸に『伝統』が付いているうちはイカン、というのが2つめの理由です。
あとは、工芸の新しい定義をわたしなりに持っていて、『伝統』を外したほうがしっくり来ると感じたからです」