仕事も土曜日は午前中働いていたのが週休2日になった時は本当にうれしかったとか、パソコンもインターネットもない時代は電話の受け答えやメモ取りがとても重要だったんだよとか、当時は当たり前だったことも今では珍しいはずです。

 転職したり、再就職したりした思い出や、どんな仕事をしていたか、何が得意で何が不得意だったかなど、話せることはたくさんあるはずです。若い時には気が付かなかったけれど、後からわかった大事なこともあると思います。

 原爆や大震災の被害者が「語り部」として経験を語り継ぐ活動をしておられますが、私たちも自分の記憶遺産を大事にしましょう。

「欲しいものを我慢する力」が
子どもにとって大切な理由

 祖父母は孫を甘やかすので、「おばあちゃん子は三文安い」という言葉があります。

 親の方針として、子どもが欲しがるモノは誕生日や特別の日だけにあげると決めていて、子どもから要求されても買い与えない。それなのに祖父母は子どもからねだられると「いいよ、いいよ」と欲しがるままに買い与えてしまうと嘆く親がたくさんいます。

 子どもは欲しがるものを買ってあげるととても喜びます。高価でないお菓子やおもちゃも子どもが大喜びしてくれると、買い与えた祖父母も幸せになります。

 しかし、これは子どもの人間形成にとっては良くないことだというのが私自身の考えです。子どもが将来生きていくうえでは、欲しいと思ったものもすぐには手に入らない、欲しいものを手に入れるには努力や準備が必要だという経験を持たなければならないと私は信じています。

 欲しいと要求してもすぐに手に入らない状況下では、欲しいものを我慢するという忍耐心を養えますし、欲しいものを手に入れるためにはどうすればいいか考え工夫する知恵を巡らせます。

 また、その時は欲しくてしょうがなかったものでも、しばらく経つとあまり欲しくなくなったり、ほかのものがもっと欲しくなることも経験します。何よりも、我慢して待った後に得られるものには大きな喜びがあります。

 そうした我慢する、待つ、努力するを経験させないで次々と欲しいものを与えていては、子どもは自分の欲望を抑える意志の力のない、次々と要求をエスカレートしてしまう人間になってしまいます。そして我慢した末にその望みが叶う喜びを知らない子になってしまいます。これは将来のその子の人生を貧しいものにします。