そんなときにおちいりがちなのが、自分のほうに原因があるのではないか、自分が悪いのではないか、という思考です。そうなると、相手が正当化されます。

 自分が悪いのだから、相手が怒ったり自分を責めたりするのは当然だ、と思うわけです。こうしていつの間にか、怒られたり責められたりしている自分のほうが加害者であるかのように、そして、加害者のほうがまるで被害者であるかのような気持ちになってしまいます。つまり、加害者と被害者の立場が逆転してしまうのです。シーン(16)でも、最後には女の子が、自分のほうがおかしいのではないか、と思ってしまっています。

 また、自分に対していやなことをしてくる合間で、相手が時に優しさを見せたり、愛情を示してきたりすると、状況がさらに複雑になることがあります。

 いやなことをされているのに、相手が見せてくる優しさや愛情にほだされて、つい許してしまう、ということが起きるのです。こうなるともう相手の思うつぼで、何かきっかけがあるたびに怒ってくる、責めてくる、ということがくり返されるようになります。そして同じように、怖いから、自分が悪いからと思ってしまい、相手に合わせる、許すという態度をくり返してしまうのです。

手なずけに気づくヒント

 ここで改めて、「触れる」「触られる」ということについて考えてみたいと思います。たとえば、だれかと談笑している最中に、ちょっと相手の腕に触れる、あるいは相手から触られる、というような経験をしたことがみなさんにもあるでしょう。ただし、それをどんなふうに感じるかは、人によって温度差があるのではないでしょうか。

 触られてもあまり気にしないという人もいるかもしれませんし、「触られた」とそのことについて意識する人もいるかもしれません。性的部位ではなかったとしても、ほんの少しだけだったとしても、性別を問わず、接触するというのは侵入的になり得る行為なのです。シーン(16)のような場合に限らず、自分の考えと他者の考えとが異なるシチュエーションはあります。

 異なっていることが悪いわけではありません。相手の感覚や意見を尊重しつつ、自分自身からわき起こる感覚や考えも大切にしてほしいと思います。