共産党市議の名手宏樹が万博への子どもの無料招待事業への参加中止を求めて質問を終えたところ、上島が自席から発言したという。
20日の記者団の取材では、発言の撤回について否定した。
「自分のヤジが万博の印象に悪影響を与えたのであれば反省したい。万博の開催に一貫して反対する市議の政治姿勢に、思わず心情を吐露してしまった」
だが21日、発言は「不適切だった」と撤回に追い込まれた。
「意見の異なる人間を排除すると思われる発言を首長がするべきではなかった」
上島は騒動から約2カ月後の8月25日、再選をめざして市長選に臨んだ。
北大阪急行電鉄の延伸を実現して、市立病院の移転計画も進めたなどと実績をアピールしたが、無所属新顔で前府議の原田亮に敗れた。
原田は3万2448票で、上島は1万8309票。首長選は、知名度が高い現職が一般的には有利とされるが、「完敗」(吉村)だった。
維新が公認した現職首長が敗れるのは、党を立ち上げてから初めてだった。
支持率が1~2年で半減
浮き彫りとなった「維新離れ」
24年は日本維新の会幹事長の藤田文武の地元選挙区である大東市長選(4月)で負け、吉村の出身地の河内長野市長選(7月)では候補者を立てられず、不戦敗となった。
それに続く上島の落選を受けて、維新が退潮したという見方は強まった。
大阪維新の会は事態を重くみて、「刷新プロジェクトチーム(PT)」を立ち上げた。府民や地方議員らの意見を聞いて課題を把握したうえで、これからの党改革や選挙戦略の見直しに生かすことが狙いだった。
刷新PTは24年9月27日、府民へのアンケートの結果を公表した。電話やインターネットなどで1000人規模に調査すると、急速な「維新離れ」が浮き彫りになった。
大阪維新の会を「現在支持している」という回答は28.5%だった。