歳を重ねればいずれ直面する「ボケ」。それを否定するのではなく、老いや心身の衰えを受け入れてどう生きるのか。そんな視点が、いま求められているという。作家・五木寛之氏が提案する「よりよくボケる」ための知恵とは。※本稿は、五木寛之『遊行期 オレたちはどうボケるか』(朝日新聞出版社)の一部を抜粋・編集したものです。
ボケかたは千差万別
好ましいボケとは?
ボケには「春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)」としているイメージもあります。一方で、凶暴になったり、介護してくれる人に罵詈雑言を吐いたり、奇行に走ったりというケースもあります。そういう荒々しいボケかたにならなければ、好ましいボケかたと言えるはずです。

ボケの親を抱えた家族の悲惨な話もよく耳にします。確かに、悲惨さはボケの一つの側面ではある。けれどもボケをどす黒い、不快な、まがまがしいものとしてとらえるだけでは、いかにも単純だと思います。
たとえば、ボケを「意識のフォーカス」というふうにとらえてみたらどうか。フォーカスとは、特に見せたい部分を際立たせるための撮影テクニックです。
ボケをフォーカスとしてとらえると、自分にとって大事なことを際立たせるために、どうでもいいことがうまくいかなくなっていて、混乱しているように見える状態と言えます。それで周りに迷惑がかかるわけです。
しかし、行動の取捨選択というものは当然あってしかるべきでしょう。ただ、その選択の基準が以前と違ってくる。本人の意識はフォーカスしている。やがて、それを周りの人は「ピンボケ」と感じる。ボケとは、そういう状態ではないでしょうか。