肉体と精神の老いは自然の摂理
抗わず「よりよくボケる」を実践

 肉体が年齢とともに変化していくのに、感情、理性、心的活動が変化しないわけはありません。人間の精神は嫌でも変わっていく。つまり肉体の老い、衰えと同じように、精神の老い、衰えも自然の摂理と言えるわけです。

 人間の肉体と精神は、自分でもおかしくなるほどに年齢とともに衰えていく。この事実を認めない人はいないと思います。私自身、近頃は「こんな失敗しちゃったよ」と自嘲的に笑ってしまうようなことがよくあります。

 人間は必ず老いる、衰える。これは厳粛な事実である一方で、滑稽な事実でもあるのです。

書影『遊行期 オレたちはどうボケるか』(朝日新聞出版社)『遊行期 オレたちはどうボケるか』(朝日新聞出版社)五木寛之 著

 長寿は確かに結構なことです。ただしそれは、どんどん衰退していく過程の中での長寿である。この事実も認めないわけにはいかないでしょう。

「年をとっても青春」などと言われたりしますが、肉体と精神の老い、衰えを認めたうえで、その中でどう生きていくか。そういう問いの立て方が人生百年時代には求められているのではないか。

 多くの場合、ボケという言葉であらわされるような記憶力の低下、行動の一貫性のなさ、感情の抑制が利かないといった精神的、あるいは心理的な不具合は、肉体の衰えと重なるようにして出てくるものです。

 生きながらにして人間失格するというボケかた、これがいちばんの恐怖かもしれません。だからこそボケを悪として退治する、あるいは抵抗する、否定するというアンチ・ボケの考え方はやめて、「よりよくボケる」という方向で考えたほうがよいのではないでしょうか。