多くの人が抱える認知症への不安
「アンチ・ボケ」が流行するワケ
戦後の「生き方」を問う本には、大きく3つのテーマの流行があったと思います。
1つは「いかに生きるか」。これが戦後の大テーマでした。たとえば、椎名麟三や野間宏などの実存主義文学者たちを始め、いろいろな人たちが「生」に関して模索する。そういう時代が続きます。
そして「生」のあとに「死」というテーマが出てきた。上智大学の教授だったドイツ人哲学者のアルフォンス・デーケン先生が提増した「死生観、死の準備教育」の影響が大きかったと思います。いろんな思想家や文学者が死について論じ合い、人びとが死について考えるようになってきました。
次にやってきたのが「健康」ブームです。これは死からどう遠ざかっていくかというテーマから、おのずと生じた現象だと思います。
今は健康というテーマの流行が一段落つき、それに代わってものすごい勢いで盛り上がっているのが「老い」です。そして老いというテーマのなかでも、とりわけ話題になっているのが「ボケ」ではないでしょうか。
ボケは一般には「認知症」と考えられています。ただ、世間的には「あの人、最近ボケが入ってきたね」と軽い調子でよく話題にしています。ボケという言葉には、死や老いほど「人生の敵」としてのはっきりとした対抗物ではなく、何かちょっと余裕のある感覚が含まれている印象がある。
しかし、自分がいつかボケるのではないか、認知症になるのではないかという不安を、多くの人が抱えていることは間違いないでしょう。
何も高齢者に限った話ではありません。40代、50代から固有名詞が出てこなくなったりします。現役世代にとっても、ボケたら競争社会の中で脱落するんじゃないかという不安は大きいと思います。
人生百年時代と言われる中で、加齢にともなう肉体的な衰えに対する抵抗、「アンチ・エイジング」が注目されてきました。それと同じように、ボケないためにはどうすればいいか、ボケを克服するにはどうすればいいかというボケに対する抵抗、つまり「アンチ・ボケ」がブームになっているのを感じます。
老いを受け入れ折り合いをつける
衰えた肉体をどう養生していくか
私はアンチ・エイジングに対して、一貫して「人間は必ず老いる。年齢とともに肉体が衰えていく中で、何とかやり繰りしながら生きていくのが人生である」と言ってきました。アンチ・エイジングを含め、老いを否定するような健康ブームに、私はまったく与しません。