悠木 わたしも、かねがね、ほんとにぼやくのはよそうと思っていますけれどもね。わたしの場合はわりとよくやっていると思われているからいいけれども、家事だとかそういうものはあたりまえだと思っている男の人、あまりにも多過ぎますね。
萩本 いや、あたりまえだという伝統で来ているだけよ。
母親のほうがずっとえらい
ばかな父親だと思っているわけよ
悠木 でも、なにも年中、ごはん出してくれたら「ああ、ありがとうよ」と言わないでいいけれども、あまりそれが当然という顔して食わしてやっているという顔する人がいますとね、女房も「この野郎。これだけ大変なんだ」と言いたくもなるし、それが影響するということもあるけれども。
でも、まあ本来、女というのはもう少し辛抱強い……男の体のできと女の体のできと比べると。だから、それはほんとうは苦痛じゃないんですね、耐えることは。
萩本 お母さんって大変、そういうことって、日本の男性は特に言わないわけ。だけど、日本の女性は、特に言えるタイプだと思うの。ぼくはその意味では、そういうふうに言ってほしいわけ。
悠木 お父さんはえらい、ってね。

萩本 だから、それに対してダンナがどうするかということが、その家庭の問題なわけよ。基本的にいうと、まずスタートは女性だと思う。それがスタートだ。
悠木 卵と鶏と同じだから、夫のせいにばかりできないしね。どっちが先にその決心をするかといったら、女がふさわしいと思っているわけね、やっぱり。それはよく女を見抜いていますよ。そのとおりですよ。
萩本 そうすれば、男がいちばんかっこよく仕事していられるという気がするの。そういうところって、番組の司会者だと思うのね、奥さんというのは。
悠木 そういう萩本流哲学というのは、子どもと接していて生まれたのかしら。
萩本 ウン。子どもがそう言うから。
悠木 でも、いくら子どもと接していても、感じない人もいるしね。
萩本 自分もそうやって育って、それも実は思うと、母親のほうがずっとえらい。ばかな父親だと思っているわけよ。おっかさんがえらかったの、結果的にはね。
1943(昭和18)年1月15日東京生まれ。女優活動当初の名義は悠木千帆、77年に樹木希林と改名。61年文学座附属演劇研究所に入所、テレビドラマ『七人の孫』で森繁久彌に才能を見出され、『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー』などの演技で人気女優に。出演映画は多数あり、代表作に『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』『悪人』『わが母の記』『万引き家族』などがある。2008年に紫綬褒章、14年に旭日小綬章を受章。61歳で乳がんにかかり、70歳の時に全身がんであることを公表した。18年9月15日逝去、享年75。夫はロックミュージシャンの内田裕也(19年3月17日逝去)。
1941(昭和16)年5月7日東京生まれ。高校卒業後、浅草東洋劇場に入る。66年、坂上二郎とコンビ「コント55号」を結成。テレビ番組『お昼のゴールデンショー』『コント55号のなんでそうなるの?』などで人気絶頂に。71年に始まった『スター誕生』では新しい司会者像をつくり上げた。80年代には『欽ちゃんのどこまでやるの!?』『欽ドン!良い子悪い子普通の子』などで視聴率「100%男」の異名をとった。その後も、長野オリンピック閉会式総合司会、茨城ゴールデンゴールズ監督などで活躍。2015年4月より駒澤大学仏教学部に在籍。対談当時は34歳。前年に一般女性との間に長男が生まれており、76年7月に妻子がいることを公表している。