ゴミ処理業者の息子が泣いた同級生の「心ない言葉」母親が誓った偏見との闘い写真はイメージです Photo:PIXTA

岐阜で40年以上続く廃棄物処理業の会社「名晃」と、その社長の峠テル子。創業期には投げやりで自己肯定感の低い社員も多かったという。あいさつすらしない社員に囲まれてきた峠社長が考える、人材育成術とは?※本稿は、峠テル子『ゴミに「ご苦労様でした!」感謝の心で育む人的資本経営』(PHP研究所)の一部を抜粋・編集したものです。

ゴミ処理業を切り盛りして
痛感したゴミ業界への偏見

 1970(昭和45)年に起ち上げた大和清掃は順調に売上を伸ばし、3年後には大和興業と名前を変えた(編集部注/筆者の夫が社長に就き、筆者は専務として会社の経理を握った)。夫・清文が亡くなった2008(平成20)年以降も、大和エネルフの名で事業を継続し、今日に至っている(編集部注/現在、峠家は経営から離れている)。

 一方、私が代表を務める名晃だが、こちらは岐阜県安八郡にあり、大和エネルフとは営業エリアが異なる。設立は1981(昭和56)年。夫の友人がこの安八郡に住んでいたことで「ゴミの仕事をやらないか」と夫が持ちかけたようだ。その人は安易に引き受けてしまったが、自分ではやりきれなかったらしい。「清ちゃん、できないわ」と途中で断ってきた。それで夫が「おまえに任せる」と私に託したのが始まりである。

 私も会社の起ち上げのノウハウをすべて知っているわけではなかったが、過去の経験から段取りの想像はできたので「この申請はこの役場に……」と一切合切引き受け、なんとか会社として設立することができた。

 産業廃棄物業、平たく言えば企業から出るゴミを集め、処理する人というのは、今でこそエッセンシャルワーカーと呼ばれ、人々の生活を支えるために必要不可欠な仕事をする人と認識され始めている。