「戦略的相互関係」が徹底できれば
包囲網は崩壊しにくい

 第二次世界大戦でヒトラーと対峙した米英ソの首脳は、1943年にテヘラン会談を行ない、この時点でドイツの戦後処理について話し合った。ドイツ敗北の2年前である。

 つまり「ヒトラーを斃す」という目標と手段、そして「ヒトラー後」について共通認識を持ったのである。

 もちろん戦後の世界は東西の思惑が相違して冷戦に突入するが、少なくともヒトラーが斃れるまでは「同床異夢」を続けることができた。昨今の言葉に言い換えれば「戦略的互恵関係」である。「仲は良くないけど、お互いの利益になることはやろう」が徹底できれば、包囲網は崩壊しにくくなる。

 諸国は一緒になって、トランプと交渉できるのか。トランプに何を譲歩させるのか。譲歩させた後、包囲網はどんな関係であり続けるべきなのか。世界最強の国に対抗するのであれば、こういう壮大で緻密な構想を持つことを検討すべきである。

「無理だ」と思うことなかれ。信長包囲網は史上3度も起き、すでに見たように日本の中央部を制圧していた信長に対し、第2次包囲網はあと少しで成功するところまでいった。

 蛇足だが、世界第二位の超大国となりおおせた中国が、なぜアメリカ包囲網のリーダーたり得ていないのか。それは、中国がアメリカ以上に利己的で、武力をちらつかせて周辺諸国に脅威を与えるような国だから、とは言えまいか。

 経済一つとっても、中国在住の外国のビジネスパーソンが、身に覚えのないことで突然「スパイ」に仕立てられ逮捕されるような国を誰が信用するのか。

 足利義昭が曲がりなりにも包囲網のリーダーとして存在し得たのは、義昭が諸大名を理不尽に扱ってはこなかったからである。その力が無かったと言えばそれまでだが、幕府がギリギリ権威を保ち、その象徴として認められるだけのものを義昭は持っていた。

 信長包囲網は結局失敗する。しかし、この企てを信長側で観察し、「信長を斃すには急襲しかない」と胸中深く思い実行したのが明智光秀であった、というのは、うがち過ぎであろうか。

 もし筆者の予測が当たっているならば、「信長を斃す」という意味で、包囲網失敗は無駄ではなかった。「包囲網は本能寺に続く道であった」と言えるかもしれない。