「(50周年時の江橋を取り上げた記事に触れて)ところが、なんとその東大生は、聞くところでは、いわゆる『即日帰郷』で入隊しないで帰宅を許されたそうで、病気が理由かどうかそれはわからない。当時一般の『即日帰郷』は病気の場合もあったが、裏口の特権的なケースも少なくなかったようだ」

宣誓学生批判は事実誤認
実際には戦闘機にも乗った

 この他にも宣誓学生を批判、ないし中傷するような文言がいくつか文中に記されている。Yの批判の骨子は「あれだけ『学徒出陣』で多くの戦没者を出し、自らは『生等生還を期せず』と誓っておきながら『即日』帰って来た人が、どうして何の反応も示さないのだろう」という点にある。あの宣誓を読んだが故に、即日帰郷という特権を与えられたのが許せないという形の批判に行き着くのである。

 これが事実なら極めて問題だ。そこで江橋の軍歴を丹念にあたってみるとそれは誤りであり、実際に江橋の戦友11人が「事実誤認」と訂正を要請する形で抗議を申し入れている。

書影『戦争という魔性 歴史が暗転するとき』『戦争という魔性 歴史が暗転するとき』(日刊現代)
保阪正康 著

 ごく大まかにいうならば、江橋は学徒出陣後は柏市にある第1航空軍の中にある航空教育隊に配属され、初年兵教育を受けている。その後甲種幹部候補生に合格して、三重県の加佐登にある第1航空軍教育隊に派遣された。そして陸軍兵科見習士官となり、立川、京都、滋賀県八日市などに転属して「昭和20年8月15日」を迎えている。

 軍歴としては航空畑の整備や審査などを担当したことになるのだが、審査などでは戦闘機に乗ることもあり、日々命をかけている状態だったとも本人は証言している。

 これらの出来事をどう考えたらいいのだろうか。私には戦後の戦争責任の問い方そのものに歪みがあるように思える。問うべきことの順位が崩れているというのが私の印象である。