私に言わせれば、日常の職場で見つかるような問題点を指摘すること自体には、ほとんどの場合、価値なんてない。
価値が生まれるのは、それを解決したときである。実際、簡単に解決できるものであるならとっくに誰かがやっているわけで、時間がかかったり、あるいはうまい具合に解決できる方法がまだわからなかったりするために、そうした問題は放置されているのである。
そこを賢(さか)しらに指摘して、何かを成し遂げた気になっていても、周囲に信頼されるはずがない。ましてや、そうした問題を生み出した人を責めたところで、何も解決はしない。むしろ、見つけた問題点を率先して解決してこそ、周囲の信頼を得られるものである。
それなのに、文句ばかり言っていて、矛盾や問題点を見つけられる自分が賢いと思っている人のいかに多いことか。
批評家になることはやめて、前向きに行動しよう。夢を抱いて、希望を掲げ、一生をかけて達成したいことを追求するような人になってほしい。
夢を笑う「冷笑家」より
挑戦し続ける人になろう
現代の人々は冷笑的で、夢を口に出そうものなら馬鹿にされ、挫折するまで監視されるようで息が詰まる。失敗すれば「それ見たことか」と袋叩きにあい、成功しても「何かずるをしたんだろう」「あいつは実力もないのに評価されている」と陰口を叩かれる。
ドイツ語には“シャーデンフロイデ”という言葉がある。これは、他者の不幸に対する喜びを表した言葉だ。日本流に言えば「他人の不幸は蜜の味」といったところである。
人間の機能として、そのような気持ちがあるのは事実なのだろう。それを持つことは、自然界での生存に有利だったのかもしれない。だが、現代において、本能全てをさらけ出して生きているのが正しいはずもあるまい。我々には理性がある。
もう、他人にそうした気持ちを持つのはやめよう。一時の快楽のために、誰かを冷笑するのはやめよう。わざわざ誰かの粗探しをするのはやめよう。
そうした行為が道徳的に間違っているからではない。何かをしている気になって、あなたを成功から遠ざけるからだ。
代わりに、夢を掲げよう。他人の冷笑は無視して、夢に向かって進もう。無論、現実は残酷で、全ての夢が叶うわけではない。だからその努力は、報われないかもしれない。
しかしながら、人生においては、報われないかもしれない努力をすることこそが大切なのである。