もちろん、日本は資本主義の国なので、市場での自由競争は問題ないはずである。しかし、相手を陥れようと嫌がらせを行い、不当な安値で同胞の足を引っ張る行為は、もはや健全でフェアな競争とは言えないのではないか。
「遠離同胞」が示すコミュニティの崩壊
日本のマスコミは、しばしば「中国人コミュニティは日本社会と交わらず、中国人社会だけの経済圏を形成している」と報じる。しかし、実際にその内部に入ってみると、そこで暮らす人々の多くは同胞に対し、非常に強い警戒心を抱いている。
同胞だから信頼できるとは限らない。むしろ、同胞だからこそ裏切られるリスクがある。今は、その認識が広く共有されており、ゆえに日本の中国語圏では「遠離同胞(同胞には近づくな)」という言葉すらある。
これは、もはやコミュニティではない。内向きの排除と競争により、支え合いの基盤が崩壊した「内部崩壊社会」と言うべきではないか。在日中国人コミュニティが直面している問題の核心は、情報格差や制度理解の不足ではない。「お互いに信用していない」ということである。
同じ言語を話し、同じ国籍を持つ人間同士が、助け合うどころか騙し合い、潰し合う。その背後には、母国で培われた競争至上主義と、他者を出し抜くことを正当化する文化がある。この「文化」は現在日本に持ち込まれ、日本の既存の市場原理や秩序を壊そうとしている。
本来なら、在日中国人が日本という「異国の地」で生き延びるには、共同体の再構築が必要である。「相手を利用する」のではなく「ともに生きる」という倫理観を持つ必要があるはずだ。そうでなければ、同胞間の「戦い」により共倒れすることは、もう目に見えている。
そして、この構図は在日中国人に限らない。グローバル化の波に翻弄されるすべての移民コミュニティが抱える共通の課題でもある。「持続可能な共生」とは何か、今、立ち止まって考えるべき時が来ていると思う。