写真:武田薬品工業前社長の長谷川閑史武田薬品工業前社長の長谷川閑史 Photo:SANKEI

大物財界人として名を上げた安川第五郎
三井財閥の総帥だった団琢磨も卒業生

 福岡市早良区にある福岡県立高校だ。政官界のみならず、経済界で足跡を残している卒業生も数多い。全国ベースで活躍している企業経営者はもちろん、九州・山口県の経済界に尽くす卒業生も少なからずいる。

 明治から昭和にかけて旧制県立尋常中学修猷館で学んだ人物で、大物財界人として名を上げたのは安川第五郎だろう。安川電機社長、日本原子力発電初代社長、九州電力会長、日本原子力産業会議会長などを歴任した。九州・山口経済連合会の初代会長や、1963年には東京オリンピック組織委員会会長にも就いた。

 安川は、1906年に修猷館を卒業、同期に後年政治家になった緒方竹虎、1年先輩に中野正剛がいた。12年に東京帝国大工学部電気工学科を卒業、36年に安川電機製作所の社長になった。

 東京五輪で国立競技場に翻った五輪旗はIOC会長・ブランデージから組織委員会→安川会長と渡った。安川はそれを母校の修猷館に寄贈した。現物は同校の資料館に額入りで展示されている。

 安川財閥の創始者で第五郎の父である安川敬一郎は、藩校・修猷館で学んだ。

 津田純嗣は安川電機社長・会長、福岡経済同友会代表幹事、北九州市立大理事長、北九州商工会議所会頭などを歴任した。修猷館同窓会の現会長でもある。69年3月卒で、東京大入試中止の影響を受けて、東京工業大(現東京科学大)工学部機械科学科の卒業だ。

 藩校・修猷館で学んだ人物では、三井財閥の総帥・団琢磨がいた。三井合名会社理事長・三井鉱山会長などを歴任し、日本経済聯盟会(日本経済団体連合会の前身)を設立し、会長になった。

 三井鉱山といえば、かつては三井三池炭鉱など国内外に多数の炭鉱を持ち、明治から昭和にかけて日本の資本主義を支えた企業(現在は日本コークス工業)だ。その社長に尾形次郎、倉田興人、有吉新吾の3人の卒業生が就いている。