三島事件の当事者たちが
裁判闘争で展開した耳を疑う主張

 実はこの小説を読みながら、私は勝手にある事件を思い起こしていました。1970年(昭和45年)に起きた三島由紀夫が自衛隊に乱入し、自決した事件の裁判です。

 私は当時15歳、中学3年生で、学校の教室でニュースを聞いた記憶があります。三島由紀夫と「楯の会」(三島が率いていた私的軍隊)の学生5人が自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し、憲法改正とクーデターを呼びかけたのです。しかし、誰が考えても成功する可能性はゼロだったので、事件直後の私の感想は大体メディアの論調と同様でした。

 文化人たちは三島をピエロ扱いして、「三島の行動は政治的なものではなく、文学的なものである」「小説が書けなくなって、楯の会の学生たちと一緒に劇的な自決をしようとした」といった解釈が幅を利かせていました。

 その後、私が興味を持ったのは、その裁判で生き残った楯の会の学生たちが、事件を「法律的には共同正犯」と主張、有罪を認めて裁判闘争をしたことでした。裁判の中で隊員たちは、次々と自分の覚悟を陳述します。

 たとえばメンバーの1人である小賀正義は、「いまの世の中を見たとき、薄っぺらなことばかり多い。真実を語ることができるのは、自分の生命をかけた行動しかない」と述べており、同じく古賀浩靖は「自分としては極刑にされても、やむにやまれぬ気持ちでやったので、後悔はしていない」、小川正洋は「(三島に生きよと言われたとき)生きのびたくない、できることなら一緒に死にたいと思った。だから思いとどまったというより、命令どおり動いたということです」と述べました。

 自分が損をしてでも自らの価値観を守るという生き方に、少年であった私は衝撃を受けました。当時は学生運動・左翼運動の全盛期。しかし、学生時代に適当に暴れ、一部の過激派がテロと称して高卒の警察官を殺害しても「革命のため」とうそぶき、そのくせ卒業後は長髪を切り、大企業のサラリーマンに落ち着くような者ばかりでしたから、その真剣さの違いに驚いたのです。

 その衝撃は、たぶん私だけが感じたものではなかったと思います。その証拠に、私たちの世代以降、学生運動は過激化した一部を除けば終息していきました。