「買いたい新車がない」という厳しい発言も

 今日の日産の苦境は、1970年代後半以降の戦略の失敗と、バブル崩壊後の改革の遅れにあるといえるだろう。

 99年にゴーン氏が日産リバイバルプランに着手し、国内では当時主力だった村山工場を閉鎖するなど厳しいコストカットを実行した。一方で、中国やロシアなどの新興国市場への進出は加速。ダットサンブランドのピックアップトラックなどを販売した。

 しかし、思うような成果は上がらなかった。一時、ミニバンの「エルグランド」やSUVの「エクストレイル」といった新モデルも海外に投入したが、好調は長くは続かなかった。

 日産は、60年からバブル崩壊前までの成功体験から抜け出せなかったのかもしれない。「技術の日産」といわれ、既存ブランドで収益は獲得できるとのおごりもあっただろう。そうした過信、プライドが組織全体に浸透し過ぎたといえるのではないか。それは、日産が米国市場で人気のハイブリッド車を投入できなかった一因ともみられる。

 他方、2010年に日産はEVのリーフの量産モデルを投入。世界的なEVシフトの先駆けとなった。しかし、あっという間に米テスラ、中国のBYDやウーリン、ジーリーなどにEV市場で追い越されてしまった。自動車業界では、「ソフトウエア・デファインド・ビークル」(SDV)開発の競争合戦にシフトし、IT先端企業も参戦することで競争は過熱するようになった。

 もし、初期段階で日産がEV充電の国際規格を主導していたら、状況は違ったかもしれない。そのチャレンジはあったのかもしれないが、結果的に日産はEVで世界をリードする存在にはなっていない。

 エスピノーサ体制発足のタイミングで、日産はリーフを8年ぶりに、エルグランドを15年ぶりに全面刷新するという。さらに、新車開発期間を30カ月に短縮する方針だ。しかしそれでも、開発スピードはライバルに見劣りするかもしれない。定時株主総会では、株主から「買いたい新車がない」という厳しい発言も出ている。