
日産自動車が台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業と電気自動車(EV)での協業を検討していると報じられた。また、中国を低価格EVの輸出拠点にする想定もあるという。トランプ関税の逆風も吹きすさぶ中、日産の再生に残された道は、他社との協業しかないだろう。問題は、エスピノーサ新体制がそれを決断できるかだ。(多摩大学特別招聘教授 真壁昭夫)
2000億円の赤字転落……なぜ日産は苦しいのか
日産自動車は6月24日、4~6月期の連結営業損益が約2000億円の赤字に転落する見通しだと株主総会で明らかにした。この赤字幅は、多くの市場関係者の予想を上回る額だ。追加減産によって、同社の主力工場である追浜工場の稼働率は2割程度に落ち込むとの報道もある。かつて、わが国を代表する自動車メーカーだった日産が苦しんでいる。
振り返ること1966年、日産はわが国のモータリゼーションを牽引した画期的なモデル「サニー」を投入した。車名を一般公募したこと、「頑張って働いてサニーが欲しい」と思うような庶民の手が届く範囲に価格設定したこともあって、大ヒット車種となった。その後も日産は魅力的なクルマを世に送り出してきた。
高度経済成長の波に乗り、日産は、世界シェアの拡大を目指して積極投資に打って出た。ところが90年初頭にバブルが崩壊すると、国内での販売台数は減り、業況に陰りが見え始める。財務内容も悪化し、有利子負債は急増した。新車開発体制にもマイナス影響を与え、魅力的なクルマを送り出すことが次第に難しくなっていった。
99年以降の日産は、再起を期したリバイバルプランの効果もあり、一時的に業績は回復した。新モデルの発表も増えた。一方で、カルロス・ゴーン氏の強烈なコストカットによる負の側面もあり、例えばハイブリッド車の開発では後手に回った。ゴーン氏の負の遺産は複雑に絡まり合い、足元の苦境の要因になっている。
本年4月にエスピノーサ新社長体制が発足してすぐ、日産は電気自動車(EV)「リーフ」の新モデルを発表した。しかし、いかんせんタイミングが遅過ぎる。
現体制のままでは自動車業界の厳しい競争で生き残ることはかなり難しいだろう。他社との連携やM&Aの選択肢を含めて、本気で次の一手を考えるべき段階に来ている。