フォークを軽蔑するユーミンの発言が、このジャンルのファンを激怒させたのは言うまでもない。しかし、彼女の発言はこれら他のジャンルが時代遅れになりつつあることを示唆するだけでなく、自身の人気が広範な社会の変化の現れである、ともほのめかしている。
ユーミンの楽曲は
1970年代の社会にピッタリだった
ユーミンがデビューしたころ、日本は大きな変貌のときを迎えていた。とどまるところを知らない1960年代の経済成長と急速な都市化の進行は、この国を世界的な経済大国に変えた。反戦運動をはじめとする1960年代のムーブメントは政治志向のフォークブームを活気づかせたが、1970年代になると抵抗への意識は次第に冷え込んでいき、それに代わって東京や大阪のような大都市を中心に消費ブームが起こった。
1970年代の初頭には、人口の90%が自身を「中流階級」と認識しており、日本社会の大半は、自分たちを同じ価値観を持つ均一な国民であると考えていた。この考えは広く普及し、当時のメディアや大衆文化にも反映された。
たとえば、左翼運動や反米運動が1960年代の若者たちの間で大きな支持を集めたのに対し、1970年代に成人した世代は消費主義を美徳として受け入れ、アメリカからの影響に対してもより寛容であった。
この現象は、政治的なテーマを避け、かわりに豊かで理想化されたアメリカのコスモポリタンなイメージで満ち満ちた『シティロード』や『ポパイ』のようなファッション雑誌に見られるような、際立った消費行動に現れている。
それゆえ、音楽ジャーナリストの矢沢寛が「泥くさくてやぼったかった」フォークソングをユーミンが「洗練されたファッショナブルな都会の音楽」に変えたと主張するとき、それはユーミンの曲が象徴する、社会の変化を包括的に説明してもいるのである。
ユーミンの楽曲は当初、音楽業界のあいだに戸惑いをもって迎えられたが、都市化、商業化、非政治化、著者性を取り込んだ彼女の作品は、やがて田中康夫が『なんとなく、クリスタル』(編集部注/田中康夫が1980年に発表した小説。日本におけるポストモダン文学の嚆矢とされる)で描いた世代のサウンドトラックとなった。
そして、このサウンドトラックは1970年代半ばになると「ニューミュージック」という新語のジャンルに分類されていった。