ニューミュージックと
フォーク系の決定的な違い

 こうした事例が示すように、ジャンルの境界は絶対的なものではない。「ニューミュージック」は、単なるマーケティング・コンセプトでもあった。『ヤング・ギター』誌の編集長であった山本隆士の言葉を借りれば「レコード会社が便宜的に貼り付けたレッテル」だったのである。

 事実、1970年代半ばに「ニューミュージック」という用語が生まれる以前には、ユーミンはしばしばフォーク系シンガー・ソングライターの系譜に位置付けられていた。キャリアの初期には「女拓郎」とさえ呼ばれていたのである。

 ただし、こうした特徴付けは、フォーク系のミュージシャンと比較した際における、彼女の音楽スタイルとサウンドの斬新さを見落としている。吉田拓郎などのフォーク系シンガー・ソングライターは、1970年代半ばにはニューミュージックに分類されていたが、アメリカのフォークやカントリーミュージックを参照し、アコースティック・ギターの弾き語りをするなど、フォークの典型的な特徴を踏襲していた。

 それに対してニューミュージック系のアーティストは、その当初からポップ、アダルト・オリエンテッド・ロック、ファンク、ジャズ、ボサノヴァ、サンバ、ソウル、R&Bなど、はるかに幅広いスタイルを自由に試していた。むしろ、「ジャンル」の壁を超えることそのものが、ニューミュージックの特徴としばしば見なされたのである。

 このアプローチが革新的であると認識されたからこそ、吉田拓郎はユーミンが当時のフォーク系シンガー・ソングライターとは「まったく違うフィールドを走り始めてる感じがした」と評価している。

 そのスタイルの多様性に加えて、ニューミュージックの「新しさ」は、洗練されたサウンドや豊かな楽器編成、内省的でノスタルジックな傾向、非政治的な歌詞、そしてパフォーマーの派手なイメージにおいて認識されていた。商業的な傾向や内省的な歌詞は、吉田拓郎やかぐや姫のようなフォーク・アーティストの作品によってすでに一般的なものとなっていたが、彼らの音楽は(商業的に魅力的な形式を持っていたにせよ)、少なくとも社会的な問題をほのめかしていた。

 それに対して、ニューミュージックに関する言説は、このジャンルを最初から「非政治的な」ものとして定義していた。