それからは仕事も家庭も問題なく過ごしていましたが、変化は突然やって来ました。
上司から呼び出され、唐突に米国国内での異動を告げられたのです。当初出張ベースで行う予定だったプロジェクトについて、地方拠点に異動して現地でそのプロジェクトを管理してほしいという指示でした。
突然すぎて驚きましたが、コロナの影響で何も予定通りに行っていないという理由だけに断れず、1ヵ月後には引っ越しをしました。
時間がない中、引っ越し先の治安や利便性の情報収集から家決め、各種インフラの解約と契約、引っ越し準備で大忙しで本当に大変でした。妻も子供もやっとできた友人たちと離れ離れになり、本当に申し訳なかったです。
自分が経験したのでよくわかりますが、赴任した異国の地内でさえも会社都合で転勤させられる可能性のある駐在員はホントに大変だなと思います。もちろん断ることもできるんでしょうが、「人事評価に響くんじゃないか」とか「成長機会を逃すんじゃないか」とか考えるとどうしても断れないんです。
アウェーな職場と激務に
心身がすり減っていった
地方拠点に異動してからは激動の毎日でした。日本人がオフィスに1人もいないどころか、未だかつて日本人がいたことすらない拠点だったので完全にアウェーでした。
それに加えて現場も管理するポジションになったため、現場の方々からの意味のわからない質問や指摘にボコボコにされながらも、できる限り毎日現場に通って現場社員とコミュニケーションを取りながらオペレーションを学び、紙に落ちていない情報を集めることに必死になった毎日でした。
今思えば多くの駐在員が在宅勤務をしている中で、毎日コロナのリスクにさらされながらも出社し続けていた私のソルジャー感は凄まじかったなと思います。命がけで仕事していたのに手当は0円でしたから。
コロナの影響で慢性的な人手不足が続き、米国企業の多くが「今年はもう無理だ」と早々に生産計画を下方修正する中、赴任先の企業(いや日系企業のほとんど)は「諦めることなかれ」とコロナ前に立てた生産計画を達成するため、現場の人間が足りないときには管理職がラインに入り作業を行う等して、なんとか生産ラインを死守するというカオスな状況が続きました。