当時、残業時間は正確に計る元気もありませんでしたが、恐らく150時間くらいだったと思います。定時外に日本からのメールを見て、返せるものを返していた時間とかは入れていないので実際はもっとだったかもしれません(笑)。

この苦境を乗り越えれば
「何者かになれる」と信じて

 150時間残業したところで“管理職扱い”なので1円も残業代はつかないし、“管理職扱い”でも実際はただの担当職なわけなので給料は担当職ベースで、会社からしたら非常にコスパのいい人材だっただろうと思います。

 同じ地域にいた、ゴルフばかりしていて仕事をしているのかしていないのかわからないおじさまが、結構上の職位の管理職で自分よりはるかに高い給料をもらっているという事実に気づいたときは、さすがに心が折れそうになったのを覚えています。

 また、時差を考慮せずにこちらが夜だろうが、現地の祝日だろうが普通に電話が来る点もストレスフルでした。海外駐在員の宿命かもしれませんが、時差があって定時前や定時後に常にメールが来たり電話が来たりする心の休まらない状況は本当に大変ですよね。

 そんなカオスな状況の中でも折れずに頑張れたのは、私が責任感が強く体力もあったからということもありますが、一番はこのチャレンジングな環境を乗り越えれば「何者かになれる」と信じていたからだと思います。

「何者かになりたい」「何者かになれるんじゃないか」そんな一心でだだっ広いスコープの中、日々色々なことに挑戦し、もがきながらもなんとか物事を前に進めていくのは恍惚感があり、やりがいもありました。

 ただ、今客観的に当時を振り返ると、際限なく仕事が降ってきて常に時間に追われ、新しい知識やスキルのインプットができないまま、取り急ぎ今までやってきたスキルや経験や時間を使ってタスクをクリアすることを繰り返していただけで、特にスキルがついていない部分が多かったのではないかと思います。