そんな中、悲劇は突然訪れました。立ち上げ前から二人三脚でやってきた米国人マネージャーが業務負荷に耐えられずに退職したのです。彼が退社の前夜に話してくれた言葉を、僕は恐らく一生忘れないと思います。
“Family is the most important thing in my life.Not work.And you need to think about that too.Family needs you.”(私にとっては家族が第一であり、仕事が第一ではない。そしてそれはお前も考えなければいけないことで、家族にはお前が必要なんだ)
とても素敵なアドバイスですよね。しかし、精神的に疲れていて視野が狭くなっている状況というのは人を狂わせるもので、私は彼のアドバイスを無視して同じような働き方を続けました。
「やりがい」という名の
悪魔に取りつかれていた
いや、彼が抜けた分、「私が頑張らねばダメだ!」という使命感で更にハードに働きました。私が辞めるなんてことは会社(部署)にとっては屁でもないことで、すぐに新しい人間を赴任させてプロジェクトにアサインするだけですが、当時の私は「自分がやらねばこのプロジェクトは間違いなく終わる」というスーパーヒーローマインドで毎日仕事をしていました。
「やりがい」という名の悪魔に取りつかれていましたね。
現場にマネジメント層が自分しかいなくなったため、毎日現場に通い、現場社員と密にコミュニケーションをとって課題を抽出し、定時後に課題解決に取り組んでアクションプランに落とし込み、翌朝にオペレーションまで落とし込むべく現場社員を巻き込んでいく。
しかし、育成した社員がその経験をベースに、人手不足かつ高い給料を提示している現地企業に転職をしていく。頑張っても、頑張ってもその努力の大半が無駄になり、本当に少しずつしか物事が前に進んでいかない。そんなスーパーハードな毎日が続きました。
現場で過ごす時間が増えても、プロジェクトを進める上での事務作業や日本へのレポート業務、業績や予算の分析業務は1ミリも減らないので深夜まで残業をする毎日で、納期のある仕事が終わらなければ土日のどちらかも(時にはどちらも)自宅で仕事をしていました。