
「何者かにならなきゃ」と焦る人ほど、手軽な承認や成長感にすがりたくなる。しかし、実はそれが自分をすり減らす“擬似成長”かもしれない。努力しているつもりなのに、なぜ苦しいのか。私たちがハマりがちな成長という幻想に心理学からメスを入れる。※本稿は、加藤諦三『不安をしずめる心理学』(PHP研究所)の一部を抜粋・編集したものです。
「できる子」と言われていたあの優等生
実は内面の成長はしていない?
「擬似成長」という言葉の意味について考えたいと思います。これはマズローの言葉です。
成長というのは、もちろんいいことです。ところが、この成長の前に「擬似」という言葉がついています。つまり擬似成長というのは、本当の成長ではなく、偽りの成長ということです。満たされていない欲求をやり過ごすことによる偽りの成長です。
例えば、子どもにはさまざまな欲求があるでしょう。しかし、そうした欲求を全部抑えて親の言う通りにしたとする。しかも、自分の欲求が満たされていないのにもかかわらず、あたかもすべて満たされているかのように思い込む。こうして自分を偽るのです。
社会を驚かすような罪を学生が犯した時に、テレビや新聞などの報道では「模範的な生徒だった」と言われることがあります。見知らぬ人を殺したような犯罪でも、「模範的な生徒」と言われることもあるのですから、驚くべきことです。
親の言うことを聞く、先生の言うことを聞く、学校は無遅刻無欠席ということであれば、確かに模範的な生徒なのでしょう。
しかし、その生徒は擬似成長だったのです。一見すると成長しているかのように見えたのですが、内面ではまったく成長していなかった。