そうして人格が極めて不安定になると、不安に駆られてちょっとしたことで怒る、ちょっとしたことで落ち込む、いつまでも嘆いている、いつまでも行動を起こさないことになるのです。

 人格と分離された欲望が、意識されずに心の底に存在している。不安から解放されるには、それをどうするかという点から考えなくてはなりません。

 一番大切なのは無意識のうちに存在する心の底にあるものを意識化して、人格に統合していくことです。

 例えば、意見をまったく異にする、強力な野党の存在する政権をイメージしてください。この状態の政権は極めて不安定です。人格も同様で、まったく違ったものがその人の中にあると非常に不安定になります。

 大げさに笑ってみたり、大げさに明るく振る舞ってみたり、臆病なのにいかにも勇気があるように行動をしたり、人のよさを誇示したり、そうした不自然さを感じさせる人がいます。よい子が家庭内暴力をおこしたり、犯罪者に変化するのは、それと同じようなことです。

 どうして擬似成長してしまうのかというのは、議論しても仕方がありません。

 何度も繰り返すように、擬似成長する必要のない家庭に生まれる子もいます。成長とともに両親が、「この子は何に適しているのだろう」「この子は何が得意なのだろう」と考えてくれる、そんな家庭で育つ人もいるのです。

 その一方で、そんなことは一切考えてもらえない家庭で育つ子どももいます。

 自分の復讐を遂げる道具として子どもを育てる親もたくさんいます。自分が望むような社会的な成功を収められなかったので、子どもの成功で世の中を見返してやろうと思っているような親は、子どもの適性なんて考えません。

 大切なのは、自分自身の運命をしっかりと受け入れて、その上で自分はどう生きるのかを考えることです。

不幸を受け入れたとき
初めて不安から解放される

 シーベリーが言っているように、「不幸を受け入れる」のです。そうすると、自分のすべきことが見えてくると言います。

「自分はこういう環境に生まれたのだ」

「(自分と違って)あいつは、彼の適性がどういうことかを、お父さんとお母さんが考えてくれて、適性に沿うような人生を送れるよう、彼を一生懸命励ましたのだ」