マズローはこれを「極めて危険な基礎の上に立っている」という言葉で表わしています。

 社会的には、うまくいっているように見えるし、社会的に適応しているようにも見える人が、実際には「危険な土台の上に立っている」ということです。

外から見れば立派でも
内面はむしろ壊れていく

 擬似成長の人は、内面の変化を拒否します。そのため、当然のことながら視野が狭いのです。

 擬似成長の例として、模範的生徒の犯罪の話をしましたが、中高年の自殺も擬似成長の観点から考えることができます。

 考えてみると、中高年というのは、一番賢い時代といえるかもしれません。ある程度年齢を重ねており、人生においてそれなりに経験を積んでいます。

 また私のように高齢で、もう肉体的に無理がきかない、というわけでもありません。心も身体も一番熟しているはずです。

 一生懸命働く年代ですが、困難を克服する能力が十分にできていないと、社会的にも責任ある行動をしているように見える人が、突然自殺することがあります。

 そういう人の努力は、他人よりも秀でている自分を見せるための努力だったのかもしれません。こうした擬似成長は、もはや不幸になるためだけにする努力です。ですから、不幸になりたくなければ、そうした努力をやめなくてはいけません。

 世の中には不幸になるための努力をしている人がたくさんいるのです。他人に優越しようとして、嫌いな仕事であえて成長しようとする人です。こうした人は、警戒心が強くて他者と心の触れ合いが難しい傾向にあります。

 アメリカのABCニュースの番組でドラッグの特集をした時に、ドラッグで自殺した子どもたちに「Best and Brightest」が多いという説明がありました。「Best and Brightest」ですから、「もっとも聡明な少年」ということです。

 そうした子どもたちが、ドラッグの過剰摂取で死んでいるという内容でした。

 外から見ると「もっとも聡明な少年」であっても、そういう子どもは内面ではつらくて仕方がなく、本当の自分の欲求は満たされていなかった。まさに、先ほど述べた危険な土台の上に立っている状態です。