甘えを排除しようとするほど
甘えに人生を奪われていく
「自己疎外感」というのは、自分が自分でないという感覚です。この自分が自分でない人が親になると、子どもに対してものすごく権威主義的な接し方をするようになります。そうした親が愛と思っていることは、執着に過ぎません。執着を愛と言いつくろっているだけです。
本当の自分と向き合う危険を避けてしまうと、存在感喪失症状や、実存的欲求不満、毎日イライラするなど、いわゆる不安な人の症状が出てきます。
本当の意味で不幸なので、人の幸せを願う気持ちにもなれません。
「自分が自分であること」が唯一の義務というのは、そういう人は本当に人の幸せを願うことができるからです。ところが自分でない人生を生きている人、自己疎外の人というのは、人の不幸を喜ぶようなことをします。
例えば嫉妬というのは、自己疎外された人の心理です。
自分の無意識にある憎しみに気づくことは、本当の幸せの出発点になるのです。
甘えを良くないこととして、意識から排斥すれば排斥するほど、甘えは無意識の領域からその人を支配します。排斥とは、自分の意識から締め出すことです。その人の中からなくなることではありません。
擬似成長している人の心の中では、幼児的願望は分離されて、無意識下に追いやられています。しかし、無意識下に追いやってそれで消えてくれれば、人間はこんなにも生きることに苦しむことはありません。
無意識に追いやっても、幼児的願望は消えずに存在し続けます。そして無意識に追いやられたものが、逆にその人を支配するのです。当人の人格に統合されないまま、意識と無意識の乖離が生じてしまうのです。
人格が未熟なままだと
子に執着するヤバい親になる
その人が心理的に健康かどうか、どこで分かるのかというと、こうした人格の統合性です。意識と無意識が統合されているか、それとも乖離しているかです。
乖離している人の無意識には、日常の人格から分離された重要な欲望がひそんでいます。それを意識化して、人格に統合しない限り、その人の人格は極めて不安定のままだということです。