彼らは、小さい頃からそういうふうに教育されていて、それが最良であると思い込んでいます。表面的にはとても聡明に見えますが、嫌いなことを一生懸命やっているだけです。だから、つらくてドラッグに手を出してしまうのです。

 アメリカは、日本よりもドラッグが手に入りやすいので、つい手を出したドラッグに溺れてしまい、ついには死に至ってしまうのです。

頑張っているように見えても
劣等感に囚われている擬似成長者

 擬似成長の人は、実存的な欲求不満です。社会的に見ると成長しているように見えますが、実存の部分は空白です。

 生存というのは、食べたり、寝たりということ。一方、実存というのは、生きている意味、生きがい、生活のはりのようなものです。

 擬似成長の人は、そうした部分に不満を抱えているのです。

 たとえ社会的には適応していても、本能衝動の防衛には失敗していて、自己疎外感を持っています。

 うわべは立派ですが、本当の意味で人生に積極的ではない。心の底では深刻な劣等感を抱きながらも、表面的には人生に失望していないように見えます。

 オーストリアの精神科医フランクルはこう言っています。

「現代は非常に広氾に広まった実存的欲求不満ーー多くの人が自分の人生に意味を疑い、価値を見失っている。」

「全ての努力に目標も目的もないというこの体験を実存的欲求不満とフランクルは言う。生活のすさみと虚しさ、内容の空虚と無意味感」(『神経症 その理論と治療II フランクル著作集5』ヴィクトル・エミール・フランクル〈著〉、宮本忠雄・小田晋・霜山徳爾〈訳〉、みすず書房、135頁)

 アメリカの心理学者デヴィッド・シーベリーは、「人間の義務はただ1つ。自分が自分であること。他の義務はありません。あなたがあると思っているだけです」と述べています。

 ところが、擬似成長している人は、人生の本当の義務から逃げています。本当の義務から逃げて、人々の注目を集めることに努力しています。

「それ以外の義務はありません。あなたがあると思っているだけです」という言葉が示すように、擬似成長している人が義務と思っていることは義務ではありません。試練に立ち向かう勇気が欠如しているだけです。