一般的に「倫理かん」の「かん」には、「観念」の“観”をあてるでしょう。ところが、渋幕では「感想」の“感”をあてています。

 深村先生(編集部注/副校長の深村誠)はこの意図について、「“観”は、頭で考えて知識に基づいて考えて判断するイメージです。一方で、“感”は直感的な感覚です」といいます。

 つまり、ロジックを超えて、人間としての感覚で善悪の判断を瞬時にできるようになることを教育目標としているのです。

「根っこにこの倫理感がなければ、すべてがねじ曲がる」と深村先生は強い言葉で表現します。

 倫理感が育っていなければ、「自分さえよければいい」「言葉では多様性を尊重するといいながら、実際は排他的になっている」といった状況にもなりかねません。大事なのは、人間としての善悪の感覚を育むこと。

「倫理感は昔ながらの言葉で、古臭いし地味だと感じるかもしれませんね」と深村先生はいいます。しかし、「私は今の時代だからこそ真に必要なものだと思うのです」と続けます。

 渋幕を卒業し、世界で活躍する方々は多い。こうした人たちに倫理感が欠如していれば、社会はどうなるでしょう?

 ロジックのみに基づいた主体性は、時に打算的にもなりえます。自由の根にはたしかなる倫理感が不可欠だと思うのです。

いじめの是非を自分で考えるから
いじめが自然と起きにくくなる

「渋幕ではいじめが起きにくい」という話を生徒・卒業生・先生からそれぞれ耳にしました。

 ある卒業生は、「変わった子は多かったです。でも、いじめる雰囲気にはならないんですよね」といいます。

「いじめる雰囲気にはならない」とはどういうことなのでしょうか?

 菅野先生(編集部注/中学校の教頭を務める菅野諭)は「特徴的な子がいても、その子と一緒にいる子が必ず現れる。独自で生きていく道を見つけていくんです」といいます。

 とはいえ、中学1・2年生は目立ったり浮いたりする子の周辺では摩擦が起きやすいのは事実だそう。衝突するけれど、成長とともに互いのいい分を伝え合って、折り合う道を見つけ出していくのだといいます。

 他の卒業生は自身の経験をこう振り返ります。