身なりを整えろと言ったところで
自分で気づかないと意味がない
こうした身だしなみについて、学園長が保護者に対して「今は見た目を好きにしていても、受験の頃には本人が気づきます。不要ならやめますし、問題はないんです」といっているのを聞いたという卒業生もいました。
この話を聞き、「自分たちは信頼されていると感じた」といいます。
実際に「高校3年生になったときに、『この1年はおしゃれをしている余裕はない』と感じて、入試が終わるまでメイクするのをやめました」と語る卒業生もいました。中にはメイクを続行する生徒もいるのでしょうが、着飾るかどうかも自己責任。
家庭ではつい口を出したくなるかもしれませんが、子どもに委ねることによって自分で考える機会になります。
もし、どうしても気になる場合には、「私は○○だと感じている」と伝えましょう。「みんなこうしているんだから」「そんな格好恥ずかしい!」と一般化して話すのではなく、対等な1人の人として意見を伝えるのです。
もちろん、アイデンティティは見た目にだけに表れるものではありません。卒業生が、生徒自身の興味関心を軸にしたアイデンティティを体現するエピソードを披露してくれました。
「パソコン室にあった何十台ものパソコンが入れ替え予定で、廃棄されると聞きつけた同級生が、『これを使ってスパコン(スーパーコンピューター)にしよう』といい出し、実際に作って、何かのコンテストで賞を取り、東京大学の推薦入試に合格していました。渋幕生はぶっ飛んでいる個性がおもしろいんですよね」
個性からくる挑戦を周囲の友人がおもしろがりながら見守っている、そんな姿が思い浮かびます。
渋幕生のアイデンティティの幅は広い。それを先生たちは見守り、発揮できる環境を整えようとしています。個々の才能はこうした場で磨かれていくのでしょう。
渋幕が育てたいのは「倫理観」
ではなく「倫理感」を持つ人
渋幕が掲げる教育目標は「自調自考(編集注/渋幕が掲げる教育目標の1つ。「自ら調べ、自ら考える」こと。近年では、「自らを調べ、自らを考える」という意味へと深化している)の力を伸ばす」「倫理感を正しく育てる」「国際人としての資質を養う」です。
ここでは「倫理感」についてご紹介したいと思います。
「倫理」って、なんだか堅苦しい……と感じるかもしれません。しかし、私は取材を通じて、渋幕にはこの「倫理感」が根底にあるからこそ、生徒たちは自分らしさを大事にしながら、社会と調和して生きていけるのだと感じました。