東大卒業生を対象とする今回の調査の自由記述には、「東大は、学費の高い私立や、小学校からエスカレーター式で入れる慶應などと違って、親の収入に左右されずにさまざまな個性的な人たちが集まる場所だと勝手に幻想を抱いて入学した。が、実際にはそんなことがなかった。明らかに階層があった」「出身地や親族による格差が不愉快だった」「〔両者には〕大きな分断があり、交わることがなかった」といった声がありました。
社会学者の妹尾麻美は、大学生は自分の周囲の学生の様子を参照することで、「大学生はこう生活するんだな」「大学生は課外活動するものだ」といった認識を絶えず更新しつつ、各自の学生生活を構造化している可能性があると論じています(注5)。
妹尾自身はこうした認知的なプロセスを経て大学ごとに異なる学生生活の特徴が形成される全体的な傾向に注目しています。しかし、現実には同じ(エリート)大学に通う学生の学生生活も決して一枚岩ではなく、むしろそこには、学生の生まれや育ちによる「大きな分断」があるようです。
だとすれば、第1世代が学生生活の基準として参照する「周囲の学生」――社会学では「準拠集団」と呼びます――の中に、エリート家庭出身者は含まれにくいのではないでしょうか。
第1世代は勉強以外の
活動を要領よくこなせない傾向
第1世代は、とくにSNSが普及する以前には、エリート家庭出身の同級生たちが自分たちからは見えづらい学生生活の“外側”で課外活動や大学外の人脈を充実させていることをよく認識しないまま、周囲にいる自分と似た出自の学生の様子を基準に、「大学生はこう生活するんだな」「大学生は課外活動しないものだ」といった認識を固めていった――だからこそ、第1世代は自分が学生生活の“内側”で適応できていることのみをもって、「東京大学の学生生活になじんで生活することができた」と満足して(しまって)いたのではないでしょうか。※編集部注:書籍では東大生の学生生活の満足度と親の学歴の関連について検討