ツイッター買収を機に急激に右傾化し、ついにはアメリカ政府の中枢にまで乗り込んでいったイーロン・マスク。ツイッター社における独裁的な改革は失敗し、テスラも業績悪化。天才起業家として圧倒的な富と名声を得ているにもかかわらず、マスクはなぜ、何度も危険を冒し、失敗を繰り返すのか。『Breaking Twitter イーロン・マスク 史上最悪の企業買収』(ベン・メズリック著、井口耕二訳)が描くのは、SNSという武器に振り回された孤独な天才の姿である。一橋大学特任教授の楠木建氏は、本書を「イーロン・マスクの本質を見事に浮かび上がらせている」と評している。本稿では、その内容をふまえ、楠木氏が「イーロン・マスクとはどんな人物か」を考察する。(全5回のうち第5回)(構成/ダイヤモンド社・林えり)

政治的中道から一転、急速な右傾化へ
本書の記述にあるように、イーロン・マスクはもともと政治的に右派ではなかった。
右寄りの共和党を支持していたわけではない。
事実、過去の大統領選挙では左寄りの民主党のオバマやバイデンに投票している。
「政治的に自分は中道だ」――マスクは昔からそう言っていた。
本書がカバーする期間からは外れるが、ツイッターの買収前後からマスクは急速に右傾化し、2024年のアメリカ大統領選挙では巨額な政治資金をトランプに提供した。
その後、第2次トランプ政権ができると、大統領上級政治顧問を務め、政府効率化省(DOGE)のトップとして君臨した。
TIME紙が「米国政府の構造に対し、これほどまでに権力を振るった一市民は前例がない」と言ったほどの影響力をもった。
炎上パフォーマンスと空回りの行政改革。莫大な資産を失うことに
日本でも報道されたとおり、マスクは大統領就任式で「ナチス式敬礼」をしたり、政府職員のリストラの象徴としてチェーンソーをぶん回すパフォーマンスを見せたりと物議をかもし続けた。
DOGEを率いるマスクは、過剰な政府機関の閉鎖や職員の解雇を宣言した。ツイッター買収の後とそっくりの拙速さだ。
社会全体に関わる政府機関のリストラは一民間企業のようにはいかない。
DOGEは空回りし、最初にぶち上げたような成果は出ない。
当然のことながら、マスクに対する批判が全米で巻き起こり、テスラの売上と利益は急落した。
テスラの株価も下がり、マスク個人も会計上は莫大な資産を失った。
トランプとマスクは「似た者同士」
トランプとマスクは言ってみれば似た者同士。
両者とも英雄願望が強く、大衆からの賞賛を強く欲する。自己陶酔が激しい。
その場での思いつきで大胆な発言をするが、情勢が変わると手のひらを返したように引っ込める。
強烈なエゴを抱えるトランプとマスクの蜜月は続くわけもない。
2025年6月に入ると、マスクはトランプと対立するようになり、SNSで互いに激しく批判し合った。絵に描いたような近親憎悪だ。
後先考えないツイートで、罰金2000万ドル
つくづく不思議なのは、マスクはそれ以前にも同じような失敗を何度となく繰り返しているという事実だ。
この点に関しては、学習能力が欠如している。
ツイッターを買収する以前から、マスクは桁外れのツイッターのユーザーだった。
フォロワーが凄まじく多いだけではない。使い方が並大抵ではない。
四六時中ツイートするのだが、その中には後先を考えないツイートがしばしば含まれる。
例えば、2018年の「史上最高に高くついたツイート」だ。
「テスラを非公開化する資金を確保済みだ」とツイートし、株式市場は大騒ぎになった。
株価は10%も跳ね上がったが、こうした行為はもちろんルール違反だ。
米国証券取引委員会と紛争になり、最終的にマスクは罰金2000万ドルを支払う羽目になった。
ツイッター買収劇が招いた株式市場の混乱
ツイッターの買収でも同じような混乱があった。
マスクの買収提案を受けて、一日でテスラの株価は12%も下落した。
わずか一日で1000億ドル以上もの時価総額が失われたことになる。
買収資金の足しにするためマスクが大量のテスラ株式を売却したとのニュースが流れると、テスラの株価はいよいよ加工スパイラルに入った。
マスクは2週間後に「ツイッターの買収は保留にする」と発表せざるを得なかった。
「トップ退任アンケート」で決定的ミス
本書にあるエピソードの中で、マスクという人物を最も象徴しているのが、2022年12月のカタールでのサッカー・ワールドカップ決勝戦でのエピソードだ。
プライベートジェットでカタールに向かったマスクは世界最大のスポーツイベントを観戦した。
貴賓席で美女と金持ちに囲まれ、世界最大のスポーツイベントを見ながら、1億2000万人以上もいるフォロワーに向けてツイートする。
そのツイートはすぐに拡散し、膨大な人々の注目を集める――マスクにとってこんなに気持ちのいいことはないだろう。
全能感にとらわれたマスクは決定的な間違いを犯した。
「ツイッターのトップから退くべきだろうか。アンケートの結果には従うつもりだ」と投稿してしまう。
凄まじい勢いで回答が積み上がっていった。
57%にあたる1000万人近い人が「イエス」を選んだ。
カタールから本社に戻ってきたマスクは、ほとんど誰とも言葉を交わさず、背中を丸めて歩いた。一人で暗い会議室に籠ってしまい、何時間も出てこなかった。
SNSが壊したのは、マスク自身だった
ソーシャルメディアの経営はロケットの製造と大きく異なる。数学や科学で割り切れる世界ではない。理屈通りには動かない。人を中心としたビジネスであり、感情が渦巻くビジネスだからだ。
イーロン・マスクは確かにツイッターを壊した。しかしマスクもまたツイッターに壊された。
これが著者の結論だ。