「ヤマ師」に学べ―怪物経営者・山下太郎の決断力と思考法#11Photo:PIXTA

裸一貫から一代でトヨタ・松下・日立を超える高収益企業「アラビア石油」を作った破格の傑物、山下太郎――。戦後の事業で堅実に成功を収めながらも、「もっとでっかいことを」と模索し続けた太郎が、70歳を前にたどり着いたのは、戦争の根本原因と見定めた「石油」による国の自立だった。「石油報国」という新たな使命に、太郎は残る人生を賭けることを決意する。この連載では、山下太郎の波乱万丈の生涯を描いたノンフィクション小説『ヤマ師』の印象的なシーンを取り上げ、彼の大胆な発想と行動力の核心に迫る。

70歳を目前にたどり着いた
「石油報国」という第二の使命

 満州で築いた莫大な資産は露と消えましたが、戦後の太郎は決して事業の世界から退いたわけではありませんでした。満州時代の経験と人脈を生かし、「復興建設」という会社を立ち上げ、八幡製鉄や横浜ゴム、三菱電機など名だたる企業の社宅建設を数多く請け負いました。1950年に勃発した朝鮮戦争をきっかけにした特需景気の追い風もあり、会社は着実に利益を上げていきました。

 しかし、それはかつてのような国家規模の事業ではなく、地に足のついた堅実な商売でした。子どもの頃から「誰もやったことがない、でっかいこと」に憧れて生きてきた太郎にとって、それはどこか物足りなさを感じさせるものでした。表面的には順調でも、心の奥底では「本当に自分がやるべきことはこれなのか」という問いが、70歳を目前にした太郎の脳裏に常につきまとっていたのです。

 その葛藤の源にあったのが、「なぜ日本はあの戦争に突き進んだのか」という根源的な問いでした。若き日、札幌農学校の青年寄宿舎で交わした“非戦論”の議論が折に触れて胸中によみがえり、戦争の本質を突き詰めずにはいられませんでした。単に「戦争はしてはいけない」と言うのではなく、「戦争を起こさないためにはどうすればいいのか」。その問いこそが、自分の人生を貫くべき新たな使命ではないかと、改めて感じるようになったのです。

 そうして太郎がたどり着いた答えが「石油」でした。