同社は、創業者の「アラビア太郎」こと山下太郎氏(故人)が、欧米の石油メジャーを向こうに回して日本人として初めてサウジアラビアとクウェートで石油の採掘権を獲得し、石油の自主開発に乗り出したことに始まる。当時は無謀とも言われた挑戦だったが、エネルギー危機における「日の丸油田」の収益力の高さを証明した格好だ。

 山下氏が築いたサウジアラビアのファイサル国王などアラブ諸国首脳との交流によって、73年の石油ショック時においては、アラブ産油国が早々に日本を「友好国」と認定する声明を発表した。その結果、欧米諸国が深刻な石油供給不安に見舞われる中、日本はいち早く石油危機から脱することができた。日本の“稼ぎ頭”であると同時に、わが国のエネルギー安全保障においても重要な存在となっている。

“ヤマ師”山下太郎は
なぜ忘れられたのか

 山下は、戦前戦後の時代の荒波に翻弄されながらも、常に果敢な挑戦を続けた“ヤマ師(投機家)”でした。常に「無謀」と言われ、周囲から胡散臭い怪商と揶揄(やゆ)されながら、己の信念と「人間植林」という独自の人脈構築術、交渉術を武器に運命を切り拓いてきました。

その実績をざっと挙げると

・オブラートの発明、特許取得・売却で投機資金を確保
・外務省を巻き込んだロシアからの鮭缶輸入で32億円の利益
・大正の米騒動で政府黙認の500億円分の中国米密輸を画策
・満州の住宅事業で6兆3000億円を蓄財するも終戦で一文なし
・日本で初めて中東に油田採掘利権を獲得
・トヨタ、松下、日立を抜いて法人所得日本一

 といったところです(金額はいずれも現在価値換算)。

 しかし、数々のとんでもない功績を重ね、日本一の高収益企業を裸一貫で作り上げたにもかかわらず、山下は日本の経営史から忘れられた存在になっています。