現在の星条旗には50個の星が配され、独立時の13州を象徴する13本の横縞が描かれている。だがここに展示されている旗は、星が15個(1個は欠損)、横縞が15本だった。そのため、これが古い時代のものだと一目でわかった。

 数多くの星条旗が存在するなかで、なぜこの古びた旗だけが特別に展示されているのか。

 それは、この旗が国歌「星条旗」が生まれるきっかけになったものだからだ。米国にとって、この星条旗は国宝級の価値をもつものなのである。

 いや、それだけではない。この旗はまた現在にいたるまで米国で「われわれ」という国民意識を創出するための重要な装置にもなっているのである。

米英戦争のさなかに
「星条旗」は生まれた

 そもそも国歌「星条旗」は1814年、米英戦争のさなかにつくられた。アメリカ独立戦争(1775~1783年)につづく、両国の衝突だった。

 口火を切ったのは、英国の海上封鎖に悩まされていた米国の側だった。英国がナポレオン戦争で忙殺されている隙をついて、領土を拡大しようという目論見もあった。

 ところが、英国は思いのほか強力であり、1814年8月にはワシントンを攻略し、ホワイトハウスや連邦議会議事堂などに火を放った。米国のマディソン大統領らは、かろうじて難を逃れるありさまだった。

「星条旗」が誕生したのは、その翌月、ワシントン北東に位置する港湾都市ボルチモアでの攻防戦においてだった。米軍は港の入口にあるマクヘンリー砦に篭城し、英軍はそこに艦隊を差し向けた。

 そして13日朝、戦闘の火蓋が切って落とされた。英軍の砲撃はじつに25時間にわたって続いた。まさに昼夜を分かたぬ猛攻だった。

 そのとき、ひとりの米国人弁護士が海上よりこの攻撃を目撃していた。名はフランシス・スコット・キー。直前まで英軍艦で捕虜解放の交渉にあたっていたかれは、情報漏洩を防ぐため、作戦終了まで海上に留めおかれていたのだ。

 攻撃は熾烈をきわめた。いまは砦に星条旗がひらめいているが、このままでは陥落してしまうだろう。キーはなかば諦めていた。夜通し砲撃の音は響き渡っていた。

 ところが翌朝になって砦をみてみると、なんとまだ星条旗がはためいているではないか。米軍の守りは固く、ついに英軍は砦の攻略を断念したのだった。