超一流スポーツ選手に共通する「思考法」を学び、ビジネスに活かすための1冊『超☆アスリート思考』が発売された。この記事では、同書にも登場する、オリンピック柔道史上初の3連覇を成し遂げた野村忠宏さんに、絶体絶命の土壇場で繰り出した、イノベーティブな「奇跡の大技」の裏側について語っていただいた。(インタビュー/金沢景敏 構成/前田浩弥)

【伝説的アスリートが語る】オリンピックの大舞台・試合終了10秒前の「奇跡の大逆転」が生まれた理由野村忠宏さん 柔道家、株式会社Nextend 代表取締役 柔道男子60kg級でアトランタ、シドニー、アテネで柔道史上初、また全競技を通じてアジア人初となるオリンピック3連覇を達成。2013年に弘前大学大学院で医学博士号を取得。引退後は国内外で柔道の普及活動を行い、スポーツキャスターやコメンテーター、講演活動など多方面で活躍している。

――30年近く経つ今でもスポーツファンの間で語り草になっているのが、1996年、アトランタオリンピック3回戦、当時の世界王者であるロシアのオジェギンとの試合で、野村さんが繰り出した「奇跡の大技」です。一応、技としては「背負い投げ」ということになっていますが、映像で見ると、柔道に馴染みのない人間にとっては「何が起こったのかわからない」ような、まさにイノベーションが起きたような印象をもちました。オジェギンが有効を2つ持ち優位に立つ中で、残り20秒。この土壇場で、なぜあのような奇跡的な技が出たのでしょうか?

アトランタに向けて掲げた「3つのテーマ」

 実はあの技は、中学、高校時代に私が読んでいた漫画『柔道部物語』(小林まこと/作 講談社)の主人公が試合で繰り出したものと、まったく同じなんです。

 『柔道部物語』は、根っからの文化系だった主人公が高校から柔道を始め、最初はとても弱いのですが、背負投を会得し、それを得意技として強くなっていく物語です。

 中学高校時代の私は、身体が小さかったためにとても弱い選手でしたが、背負い投げが得意でした。自分と似ている主人公に憧れ、未来の自分を投影しながら読んでいました。
 オジェギン戦で繰り出した「あの技」も、中学高校時代の友だちと、ふざけ半分で練習したりもしていました。

 ただ、オリンピックのあの状況で「よし、あの技を使おう」と思って繰り出したわけでは、もちろんありません。
 勝つためにできる限りのことをやり尽くすなかで出てきた技が、昔読んでいた大好きな漫画の主人公が使っていた技と、偶然に重なったといったほうが近いのかもしれません。

 アトランタオリンピックは、自分にとって初出場でしたが、「最初で最後のオリンピック」だと思って戦っていました。

 それまで一ファンとして見ていたオリンピックで、オリンピックの雰囲気に飲み込まれて自分の力を出し切れずに敗退した選手も決して少なくないと知っていた自分は、悔いのないオリンピックにするために、次の3つのテーマを掲げました。

1 常に前に出て攻撃し続ける
2 うまくいかないときも、不利な状況でも、ネガティブな感情を表情に出さない
3 試合終了のブザーが鳴るまで、自分の勝利を信じて戦い抜く

 この3つをやり切ったうえで負けたのならば、それはもう、仕方がない。単に実力が及ばなかっただけの、納得の負けだ。
 そうマインドセットをして、オリンピックに臨みました。

 そして、オジェギン戦も、この3つをとにかく徹底し続けました。
 もう試合時間が尽きそうになっても、最後まであきらめずに「自分の勝利」を信じて戦い続けていただけなのです。

経験を重ねて培った「感覚」が、土壇場で活きる

 オジェギン戦、残り20秒。
 ポイントで優位に立っているオジェギンは、もはや「あと20秒、ひたすら逃げ回っていればいい」状況です。

 その中で私は、なんとか、オジェギンの片襟をつかむことができました。
 本来は襟と袖をつかんで背負い投げに持っていきたかったのですが、相手はそれだけを警戒していますから、まともに組んでくれません。

 この間にも残り時間は減っていきます。
 もはやこのまま投げに持っていって、相手を背中から畳に叩きつけるしか逆転はない。

 そう思った私は、右手で片襟をつかんだまま相手を担ぎ、左手で相手の足を持って、なんとか態勢を整えると、前転するように自分の体ごと投げるしかなかった――だから、それをやった。そんな感じです。

 とにかく、一瞬一瞬、「勝つ」ためにできることを全身全霊でやり続ける。
 その果てに、『柔道部物語』の主人公と同じ技が、残り15秒というギリギリのところで決まったのです。

 この背負い投げは、私が小学校時代から磨き続けた「本物の背負い投げ」とはまったく違うものです。
 ただ、私の中には同じく、小学校時代から磨き続けた「相手を投げて一本を取る感覚」があり、「この態勢なら、こう投げたら相手は背中から畳に落ちるな」というパターンを無数に持っていました。

 その「感覚」があの土壇場で発動し、決してきれいな形ではなかったけれども、投げに持ち込めて技ありをとることができたのだと思っています。

 そしてそれが図らずも、自分が弱かったころに読んでいた漫画の主人公が使ったのと同じ技だった。
 その意味でも、オジェギンの背負い投げは本当に「奇跡の大技」だったのだと、自分でもそう思います。(野村忠宏さん/談)

(このインタビューは、『超⭐︎アスリート思考』の内容を踏まえて行いました)

金沢景敏(かなざわ・あきとし)
AthReebo株式会社代表取締役、元プルデンシャル生命保険株式会社トップ営業マン
1979年大阪府出身。京都大学でアメリカンフットボール部で活躍し、卒業後はTBSに入社。世界陸上やオリンピック中継、格闘技中継などのディレクターを経験した後、編成としてスポーツを担当。しかし、テレビ局の看板で「自分がエラくなった」と勘違いしている自分自身に疑問を感じ、2012年に退職。完全歩合制の世界で自分を試すべく、プルデンシャル生命に転職した。
プルデンシャル生命保険に転職後、1年目にして個人保険部門で日本一。また3年目には、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織MDRTの6倍基準である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的には、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な数字をつくった。2020年10月、AthReebo(アスリーボ)株式会社を起業。レジェンドアスリートと共に未来のアスリートを応援する社会貢献プロジェクト AthTAG(アスタッグ)を稼働。世界を目指すアスリートに活動応援費を届けるAthTAG GENKIDAMA AWARDも主催。2024年度は活動応援費総額1000万円を世界に挑むアスリートに届けている。著書に、『超★営業思考』『影響力の魔法』(ともにダイヤモンド社)がある。