ここで念頭に置かれている「〈孤立〉の喪失」は、マルチタスキングによる注意の分散のことであり、これは、メディア技術が可能にした「アテンションエコノミー(注意経済)」(編集部注/人々の注目や関心が経済的価値を持つという概念)の1つの帰結でもあります。
刺激的な広告に囲まれるのは
それを選んだ私たちのせい
インターネットでは、広告や利用者の囲い込みなどをベースに成り立っているビジネスが多いですが、アテンションエコノミーは、そうした環境で成り立つ経済のあり方のことです。具体的には、情報の内実や質よりも、人の注目それ自体が価値を持つことを指しています。
アテンションエコノミーにおいては、コンテンツ、広告、製品、サービス、ウェブプラットフォーム、オンラインサロン、YouTubeチャンネル、インフルエンサーなどのいずれも、どれくらいの人がそれに注目し、クリック数や購入者数、登録者数、売上などがどれくらい具体的に動いているかという、数量的な「動員」(エンゲージメント)こそが問題になります。
あらゆる人間やイベント、商品などがアテンション(=注意)を奪うことに最適化しています。商品やサービスが私たちの注意を奪い合うだけでなく、私たち自身も、SNSの発信を通じてそうした注意の奪い合いに参加しています。
この消費環境は明らかに注意の分散に貢献していますが、別に企業や技術だけのせいでもありません。私たち自身が、日夜スマホを通じて注意を分散させる試みに喜んで参加していることを進んで認める必要があるでしょう。
スマホを触りながらの対面コミュニケーションでは、相手の会話は薄く聞くだけ、小難しい内容は無視する、何か聞かれたら生返事、そんなやりとりが関の山でしょう。こんな環境で、「消化しきれなさ」「モヤモヤ」「難しさ」の類を抱えておくなんてやってられないとしか思えないはずです。
残念ながら、注意の分散によっておろそかになるのは、対面のコミュニケーションだけではありません。マルチタスク的に処理しているあらゆることが、同時並行している分だけおろそかになっています。
漫画を読むことも、電話をすることも、音楽を聴くことも、誰かとテキストをやりとりすることも、全部です。