2人の接触はその後約2年間に40回続いた。銀座の公衆便所や新宿の盛り場の路上、渋谷の映画館のトイレ……。志位は目的の場所に行く時、必ずタクシーを使った。いきなり指定場所に行かず、たばこを吸いながら付近を散歩し、安全を確認した上で近寄った。

『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』書影『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』共同通信社社会部編(朝日文庫)

 ラストボロフは接触する際、志位の正面から歩み寄った。志位の背後から近づく場合は口笛で合図を送った。トイレで連絡する時は隣り合わせで小用を足すふりをして素早く連絡用紙を手渡した。次回の連絡日時・場所に変更がある場合、ラストボロフがマッチ箱の軸の下にロシア語でタイプしたメモを隠して志位に手渡した。

 志位が提供したのは、保安隊(自衛隊の前身)の編成・装備や教育・訓練、幹部の素質など日本再軍備に関する情報のほか、吉田茂内閣の対外政策の性格や、朝鮮戦争の見通し、米軍の原爆搭載機配備などの情報だった。志位は自首した後「連絡用紙を手渡す瞬間が最も緊張し、疲れた」と語っている。