アメリカのリベラル派が問われる
『Abundance』 (豊かさ)
――本書『テクノ専制とコモンへの道』の全体テーマと繋がっていくお話ですね。
テクノロジーの発展に伴い、私たちの社会には大まかに3つのイデオロギーの選択があります(下の表参照)

1つは、人間や社会の統治を、テクノロジーの専門家あるいはA Iなどの人以外のエージェントが担う「統合テクノクラシー」です。代表的な提唱者はイーロン・マスクやサム・アルトマンで、世界観は全体主義です。彼らは、最新のA Iによってあらゆる物質が安価で豊富になることを期待しています。しかし、その豊かさの分配は均等ではなく、A Iシステムを支配する少数者に集中することが予想されます。
もう1つの「企業リバタリアン」は、暗号技術やネットワーク・プロトコルによって規制から解放された個人が、自己利益を追求することを何よりも重視するイデオロギーです。代表的な提唱者はPayPal創業者のピーター・ティールや起業家兼ブロガーのカーティス・ヤーヴィンで、世界観は徹底的な個人主義です。
統合テクノクラシーと企業リバタリアンの思想や提唱者は重なる面もあります。重要なのは、それらが今日の私たちのテクノロジーに関する想像力を支配しており、「A Iが大失業をもたらす」「人は無価値な存在となり、経済的主体性を失う」といった絶望や焦燥感を広めていることです。
このように高度なテクノロジーを駆使する少数の万能者による専制政治、つまり「テクノ専制」に対峙するイデオロギーとして、オードリー・タンさんやグレン・ワイルさんが提唱するのが「デジタル民主主義」です。
多様な人々が自由に協働することで、社会がより豊かになることを目指しますが、そのための道具としてテクノロジーを活用するという点で、従来の民主主義思想を超えるものと言えます。社会の多様性を保持しつつ、分断を生まず、社会全体を豊かにしていく方向に持っていくために、テクノロジーの活用が不可欠と考えるのです。
私は、多様性を絶賛しているわけではありません。実際、自分と異なる意見や言葉、文化的背景を持つ人と付き合っていくのは難しい場合が多い。本能的なものがあると思います。そんなことを言うのは排外主義だと言って非難しても、世の中は良くなりません。
といって、同じタイプの人同士で固まるしかないというのでは無論なく、その本能的な部分は認めた上で、なんとか上手く付き合っていくと、政治的にも経済的に豊かになっていけるだろう、と考えるのです。そういうビジョンを描くことが今の時代、とても重要です。
――どうすれば、いいのでしょうか。
本書『テクノ専制とコモンへの道』で、『PLURALITY』以上に強調したのは、「奪い合うことで貧しくなるのではなく、分け合うことで豊かになる」ということです。
例えばアメリカのトランプ大統領は、「アメリカは搾取されてきた」と言いますね。事実はともかく、トランプ大統領の支持者たちの多くには、このような被害者意識が強いのです。
このような状況はアメリカだけではありませんが、そうすると、「誰かが密かに甘い汁を吸い、自分の取り分を奪っている」という疑心暗鬼が社会に蔓延して、恵まれない人を支援しようといった主張は単なるきれいごとと受け止められ、誰も耳を貸さなくなってしまいます。
これに対して本書では、「協力し合うことで皆が豊かになることが、最新のテクノロジーを使えば可能である」ということを説いています。ゼロサムでなく、プラスサム社会を、テクノロジーを使うことで実現できる、と。
――支持を落としてきているアメリカの民主党の失地回復につながる考え方でしょうか。
私は、アメリカの政治動向をよくチェックしていますが、リベラル派で今、新しい動きが起こっています。今年5月に発行された書籍『Abundance(豊かさ)』 (未邦訳)が話題になっています。著者は、人気コラムニストのエズラ・クライン(Ezra Klein)とジャーナリストのデレク・トンプソン(Derek Thompson)です。リベラル派に対して、豊かさについて前向きに再考することを促しています。
リベラル派はこれまで何かというと大企業を批判したり、グリーンエネルギーにどれだけ資金が費やされたかを気にしたりして、人々の生活の豊かさについてきちんと向き合ってこなかったから人心が離れたのではないか、と問題提起しています。
貧困層支援などの理想を実現するには、まず経済を成長させ、人々に豊かさをもたらすことが重要ではないか、というのです。成長と再分配はトレードオフではありません。パイを大きくすればするほど、分配するパイの量も増えるのです。
また、豊かさ(Abundance)リベラリズムは、大富豪が巨万の富を築くことはあまり気にしません。「誰かが巨万の富を築くと、誰かが飢餓状態に陥る」というような、ゼロサム的な闘争は目標ではないのです。
豊かさ(Abundance)のアジェンダにとって重要なのは、一般の人々、つまり中産階級、労働者階級、貧困層が、より負担の少ない生活を送れるようになることです。もしそれが、富裕層が富の一部を手放すことで実現するならそれでも構わないが、富裕層がさらに裕福になることで実現するなら、それでも構わない。
成長を促すことで、ゼロサムではなくポジティムサムな豊かな社会を築くこと、そのビジョンをテクノロジーで描き出すのが『テクノ専制とコモンへの道』の課題の一つです。