「アンパンマンの原型」が生まれた日、誰にも知られなかった“妻の涙”があった【あんぱん第105回】

のぶの嘆き「世の中に忘れられたような、
置き去りにされた気持ちになるがよ」

 最近、狭い長屋のセットの中ばかりだったので、空と山の広々とした風景や緑は視聴者にとっても一息つけるものだった。その前に、嵩が蘭子からのぶが山に向かったと聞く場面も、蘭子のアパート前がこれまでにない引きで撮影されていて、新鮮であった。蘭子の手前の葉っぱもみずみずしく、その後のロケシーンともうまく繋げている。

 嵩が絵を描き終えたとき、山登りで体を動かしてすっきりしたのぶが家に戻って来た。

 運動して体がすっきりしたら、心に溜まったわだかまりも出しやすくなる。これまでカリカリしていた気持ちを嵩に素直にのぶは話す。

「うちは何者にもなれんかった」
「世の中に忘れられたような、置き去りにされた気持ちになるがよ」

 と滂沱の涙を流す。

 中でも、「嵩さんの赤ちゃんを生むこともできなかった」

 このセリフは重い。

 これまで、一言も言わなかったけれど、のぶがずっと抱えてきたことだ。

 本日、先行して公開したインタビューで中園ミホはこう語っている。

「多分、誰もが、一生懸命生きてきたのに、あれ、こんなはずじゃなかったのに……と思う瞬間があるのではないでしょうか。のぶみたいな女の子は私の周りにもたくさんいました。みんな、なりたいものを夢見ていたけれど、結局、結婚して、夫や子どもを支える人になってしまいます」

 実際に存在している、可能性があったのに、結婚してそれを封印せざるを得なくなった女性たちの象徴がのぶなのだ。

 折につけ、女性の地位の向上が語られてきて、令和のいま、だいぶ、状況が改善されてきた。とはいえ、まだまだ、全女性がやりたいことをやりたいようにできているわけではない。とりわけ、昭和30年代はまだまだであったことだろう。

 のぶのモデルの暢は、中園が脚本を描き始めたとき、5つくらいしか史実がなかった。やなせの妻・暢の発言はほとんど残っていないという事実からしてもそうで。誰もが自分のやったことや思いを後世に残せるわけではない。残せる人はほんの僅か。

 朝ドラ「ゲゲゲの女房」(2010年度前期)はレジェンド漫画家・水木しげるの妻の自伝が原作で、妻が大作家を支えた人物の視点で本を出せたのだ。でもやなせたかしの妻・暢はいっさい何も発信しなかった。この差は大きい。

 ほとんどの人が、懸命に生きてきた事実が亡くなったあと、残らない。それが人生と潔く、すべてを風に飛ばすのもかっこいいけれど、こうやってドラマで、何も残さなかった人の想いを想像するのも素敵なことではないだろうか。

「僕たち夫婦はこれでいいんだよ」とのぶの手を握る嵩。

 嵩は、のぶが頑張って生きてきたことをずっと見てきて認めている。

 そして、あんぱんを食べる。のぶがいなくなってから、毎日、あんぱんをふたつ買って待っていたのかもしれない。健気だ。