連絡は主にショートメール。父の病状について、また県営住宅から特別養護老人ホーム、病院などへの移動のたびに細かい状況を知らせてくれた。父が亡くなるまでの3年間で私がしたことといえば、電気毛布を送ったことと、新型コロナ特別定額給付金10万円を、全額まるっと父の口座へ振り込んだことぐらい。最後の面倒を見るつもりのない私にとって、市原さんは“父の4番目の妻”のような、ありがたい存在となった。

 私は、いろいろと落ち着いたら父に会いに金沢へ行こうと思っていた。しかし翌年の2020年1月に母を看取ったあと、新型コロナウイルス感染症の蔓延で世の中は一変し、見舞いに行きたくても施設がそれを許してくれないという状況が長く続いた。

 市原さんから久しぶりに連絡があったのは、2022年5月21日のことだ。

 父は口から物を食べることが困難となり、5月6日に「CVポート」を鎖骨の下あたりに埋め込んで栄養補給を始めたという。よって、特別養護老人ホームから、金沢西病院に転院。何度か肺炎も起こしており、現在は病状が安定しているが、80歳という年齢と、脳梗塞を過去に起こしていることから、「いつ何があってもおかしくない」とのことだった。

父は人生最期のステージへ
延命はする?しない?

「主治医が娘さんとお話ししたいとのことです」とテキストメッセージにあったので、「私としては、食べられないなら死なせてあげたいのですが、そういうことも先生に相談できるのでしょうか?」と書くと、「とても大切なことなので、ぜひ先生とご相談されてください」との返信があった。それで翌週、父の延命について主治医に電話で相談することにした。

 市原さんからのメッセージの最後には「お父様は、香織さんが金沢にお見舞いに行きたいとおっしゃっているという言葉にのみ、目を開かれて反応されます」と書かれていた。

 父のことは特別恋しくもなかったのだが、親子の思い出はあるし、愛情らしきものもままあって、せめて死ぬ瞬間はそばにいようと思っていた。

 5月27日、西病院の担当医から電話があった。