病気や老いというものは、本当に恐ろしい。まるで油圧ショベルがいきなりやって来て、小さな家の屋根やら壁やらあちこちを掴んではグシャッと潰していくように、身体のみならず、ときには家族関係までをも徹底的に壊してしまう。そして、もう2度と元の形には戻らないのだ。
だが、私は薄情で、そのときふたりのために何もしなかった。会いに行って父を宥めることも、ケアマネジャーと相談することも。申し訳ないが、ふたりのことより母の介護で頭がいっぱいだった。
翌年の2019年6月13日、離婚が決まったとヨウコさんから連絡があった。父も電話に出たが、言語障害もあり、どんな気持ちでいるのかは正直よくわからなかった。
さらに1ヵ月後、父のケアマネジャーから初めて電話があった。離婚手続きは着々と進んでいるとのことで、ふたりが住んでいた小将町の家にはヨウコさんが残り、介護が必要な父はバリアフリーの県営住宅に引っ越すので、香織さんに保証人になってほしい、経済面は成年後見人(せいねんこうけんにん)を立てるから同意してほしい、といった内容だった。
生物学上の父にとっての
「人生最後のケツモチ」は誰か
両親の離婚から約40年。そのうち30年をともにした女性と縁が切れると、父のいちばん近い身内は私になる。それが「血縁」だ。離婚後、母に養育費をほとんど払わなかった男は、私にとってはたんなる「生物学上の父」だが、父にとって私は「人生最後にケツモチしてくれる娘」というわけか。
そんな思いを受話器越しに感じたのか、ケアマネジャーは「お気持ちお察しします」と慰めてくれた。きっとこういう話はたくさん見聞きしているのだろう。
ところが実際にケツモチ――というか、父のケアをしたのは、私ではなかった。
同年9月、ケアマネジャーから家裁に提出するための「成年後見人の親族同意書」が届き、私は署名・押印して返送した。
父とヨウコさんの熟年離婚ならぬ、“老老離婚”が成立したあと、77歳にして独り身となった父には、預貯金などの財産管理をし、身体の状態に考慮して必要な福祉サービスや医療を受けられるよう手配する「成年後見人」がついた。市原明子さんといって、社会福祉士や介護福祉士など資格をいくつも持つプロフェッショナルである。