「志」「楽しむ運動」「早期発見」という、現代のリーダーにも通じる3つの健康の心得
仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」――経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。待望の続編『リーダーは世界史に学べ』(ダイヤモンド社)では、世界史のリーダー35人が、迷える現代のリーダーに【決断力】【洞察力】【育成力】【人間力】【健康力】という5つの力を高めるヒントを伝授する。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

「そりゃ天下も取るわけだ」…69歳で川泳ぎもした徳川家康の驚異的な健康エピソードPhoto: Adobe Stock
徳川家康(1542~1616年)は、言わずと知れた戦国大名、江戸幕府の創始者。三河国(愛知東部)の小大名として生まれ、幼少期から青年期は隣国の織田家・今川家の人質として過ごした桶狭間の戦い(1560年)で今川義元が討たれた後、今川家から独立を果たし、織田信長と同盟を結ぶ。その後は、東の武田家との戦いに集中し、武田家滅亡により勢力を拡大した。信長の死後、一時は豊臣秀吉と対立。秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた小牧・長久手の戦い(1584年)では、互角の戦いをするも後に服従し、豊臣政権の重臣として秀吉の天下統一を助ける。秀吉の死後、石田三成と対立した関ヶ原の戦い(1600年)に勝利し、江戸幕府を創設。将軍・大御所として幕府の制度や現在に通じる江戸のインフラを整備するとともに、晩年には大坂の陣(1614~15年)で豊臣家を滅ぼし、265年にわたる江戸時代の礎を築く

驚異の古稀、家康の健康伝説

徳川家康は、健康管理により、晩年になっても健康そのものだったそうです。

69歳のときに釣りに出かけた際、なんと川泳ぎしたという記録があるのですから驚きです。

弱い度数の老眼鏡(日本初の洋式眼鏡)は使っていましたが、視力も聴力も晩年までしっかりしていました。

天下取りを支えた強靭な肉体

当時としては老齢の59歳にして、関ヶ原の戦いに勝利を収めて天下をとり、江戸幕府を創設。最晩年には最大の懸念だった豊臣家を大坂の陣で滅亡させて、その翌年、すべてを成し遂げて満足したかのように75歳の人生に幕を閉じたのです。

徳川家康の健康管理から、とくにリーダーが健康であり続けるために必要なことについて考えてみましょう。

第一の心得:志こそが最強の良薬

第一に、長い時間をかけてでも、達成したい目標を掲げることです。

目標があるからこそ人生に張り合いが出てくるものです。また、目標があれば、その実現までは元気でいないといけないとも思えます。

目標は人それぞれ、仕事のことでもプライベートのことでも、なんでもアリだと思いますが、できればワクワクできるもので、少し頑張りながら追い続けられるものだといいです。

秀吉を超えた「生きる」という執念

家康自身は天下人となり、平和な社会を実現することが目標だったと考えられます。

実際、家康は62歳で亡くなった秀吉以上に長生きできたからこそ、天下人となれたともいえます。

目標のために嗜好を断つ、覚悟の健康管理

ある地方の年商100億円規模の住宅メーカーの社長は、全国展開を目標としたときから、大好きだった酒を一滴も飲まなくなりました。

当時50代半ばだったその社長は、全国展開という目標を成し遂げるまでは、絶対に倒れるわけにいかないと考えたそうです。

その後、全国展開を進めることができ、70代半ばの現在も元気に陣頭指揮をとっています。