「耳が痛すぎる…」なぜストイックな上杉謙信は酒で破滅した?
仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」――経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。待望の続編『リーダーは世界史に学べ』(ダイヤモンド社)では、世界史のリーダー35人が、迷える現代のリーダーに【決断力】【洞察力】【育成力】【人間力】【健康力】という5つの力を高めるヒントを伝授する。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

【要注意】酒でキャリアを台無しにする残念な人…天才・上杉謙信の悲劇に学ぶ自己管理術Photo: Adobe Stock
上杉謙信(1530~78年)は、戦国時代の越後(新潟)の戦国大名。越後の実力者・長尾家に生まれ、当初は長男でなかったため寺に入れられるが、兄が当主として人望がなかったこともあり、長尾家の当主となる。室町幕府では関東を治める立場ながらも、関東の北条家の勢力拡大により力を失った関東管領の上杉家を保護し、その名跡を継ぐこととなったことにより、上杉謙信と名乗る。甲斐(山梨)から信濃(長野)に勢力を拡大してきた武田信玄と川中島(長野)で5度戦うが、勝敗が決まらずに終わった。晩年は織田信長と対立し、手取川の戦い(1577年)では織田軍に勝利するが次の遠征の前に倒れ、意識が回復しないまま亡くなる。

戦国の世の“プレミアム清酒”

上杉謙信の時代の酒の主流は、玄米を発酵させたもので保存がきかず、つくられる季節も限られていました。

しかし、上杉謙信が飲んでいたのは、白米だけを使い当時の最新技術でつくられた「諸白づくり」の清酒でした

諸白づくりは、麹と掛米の両方に白米を使い、澄んだ酒をつくる手法です。乳酸菌の働きで雑菌を抑えるので保存がきき、1年中つくれるものでした。そのため謙信は、年中酒を飲むことができたのです。

英雄を蝕んだ甘美なる液体

諸白づくりの清酒は、現在の日本酒と比べて、糖質が倍以上あったといわれます。そんな糖質過多の清酒を毎日、しかも朝から大量に飲んでいたことにより、謙信は糖尿病を患っていたと考えられています。

謙信が使用した甲冑の胴まわりから、もともとはメタボ体形だったといわれますが、晩年の肖像画を見ると、かなりやせ細っています。

食事後に吐いたり、高熱を出して左足に腫れ物ができていたりしたことから、重度の糖尿病だったのではないかといわれているのです。最後は糖尿病が原因かもしれない脳卒中に倒れ、帰らぬ人となったと考えられています。

ストイックな現代人が陥る罠

現代でもストイックな生活を続けている人ほど、ストレス発散で過度に酒を飲んだり、酒を飲むと人が変わったりするケースがあります。

張りつめて仕事をしていると、酒に頼って気分を解放したり、日ごろは隠している本性が酒の力で露になったりすることもあるでしょう。