「日本人ファースト」ではなく
「日本ファースト」にすべき

 この課題を克服するためにも、私は「日本人ファースト」を「日本ファースト」に言い換えるべきだと考えている。「人」が抜けただけであり、一見すると単なる言葉の違いに見えるかもしれないが、実際には本質的な意味の差異を含んでいる。

 ここまで見てきたように、同じ「○○ファースト」であっても、それぞれ違いがある。

 アメリカファーストの背景に社会の内部対立(リベラルvs保守、ヨーロッパ的価値観vsアメリカ文化)があっても、あくまで「国益」を第一とする国家戦略である。

 日本人ファーストは起点が日本人という民族・生活者であって、アイデンティティの保全が中心となる。これをつきつめることは非効率な内向き・生活防衛型ナショナリズムになりかねない。

「日本ファースト」は亡くなった安倍晋三元首相が「美しい国、日本」のスローガンのもと実践してきたものだ。

 ただし、安倍元首相の起点は「国家」にあり、外交・安全保障・経済安全保障において「日本の国益」を最優先する戦略を次々と実現した。

 その構想は「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」「自由で開かれたインド太平洋」など、国際秩序を視野に入れており、内向きではなく「世界の中の日本」を常に見据えて、日本の地位を世界のハブへと昇華させた。

 つまり、日本人ファーストは草の根の感情を出発点とするが、安倍元首相は国家を出発点としている。国力を強化し、日本が信頼される国になることで、国民を守るという発想だ。

 安倍元首相がトランプ大統領と協調できたのは、トランプ大統領の「アメリカファースト」と、安倍首相の「日本ファースト(≒美しい国、日本)」がそれぞれの立場で親和性の高い価値観を有していたからだろう。

 もちろん、トランプ大統領はアメリカの国益のために、安倍元首相は日本の国益のために努力した。ただし、そこに「個人的な信頼関係」が加わったからこそ、多くのことを共通化できて、お互いの利益も尊重できたのだろう。

「日本人ファースト」はこういったことも含んでいるが、あくまで「日本人最優先」であるので、「国益最優先」とは相いれないところも出てくる。内向きになりがちな今だからこそ、安倍元首相がやってきたことを「日本ファースト」という基準で再評価して、今後の日本政治の方向性を論ずるべきと考える。

(評論家、翻訳家、千代田区議会議員 白川 司)