「アメリカファースト」と
「日本人ファースト」との違い
「日本人ファースト」は「アメリカファースト」と同じように見えるが、その射程と意味は異なっている。
トランプ氏の「アメリカファースト」は国家という枠組みを起点とし、アメリカの国益を最優先する立場である。
それに対して「日本人ファースト」は、日本人という国民・民族の生活と安全、文化的アイデンティティの保全を重視する点に特徴がある。前者は国家単位の議論であり、後者は人間単位・文化単位の議論である。両者を単純に並列することはできない。
「アメリカファースト」の背景には、アメリカ社会が長年抱えてきた文化的分断がある。そこでは大きく二つの価値観がせめぎ合ってきた。
一つは、ピルグリム・ファーザーズ以来のキリスト教的伝統に基づく「アメリカ文化」である。家族の絆、信仰、武器携帯の自由、自己責任を重んじるマッチョ的な価値観が典型であり、今日の共和党保守層を支えている。
もう一つは、第二次世界大戦後にヨーロッパで広がった人権主義的・リベラルな価値観であり、多様性や個人の自由を強調する都市的ライフスタイルに通じる。これは民主党の基盤を形成している。
アメリカはヨーロッパ文明の延長でありながら、同時にその束縛から逃れる「反ヨーロッパ」としての側面も持つ。ゆえに「アメリカ文化」と「ヨーロッパ文化」の対立は建国以来の宿命であった。
「アメリカファースト」は、そのうち前者を優先したいという願望を表現しており、アメリカ社会内部の文化対立の産物といえる。
一方、「日本人ファースト」はこのような国内の文化的分裂に起因するものではない。外部から持ち込まれた価値観との摩擦に起因する。たとえば、外国人労働者の受け入れや観光客の急増によって、公共空間でのマナーの違い、生活習慣の齟齬(そご)が日常的に生じるようになったことがある。
ゴミの分別や静粛性など、日本社会にとって当たり前とされてきた行動様式が共有されにくくなり、それが「文化的アイデンティティ喪失」への恐れへとつながっている。
移民社会への移行が
増幅させた国民の不安
日本は戦後長らく「移民を受け入れない国」とされてきたが、この認識は間違っている。
戦後の日本は、帰国しなかった朝鮮半島出身者約60万人を受け入れる「移民大国」から出発している。これまで問題や摩擦は何度も起こったが基本的に平和裏に進んできた。
日本にとっての「移民」は長らく半島出身者のことを想定してきたが、現在、問題になっているのは「それ以外の移民を受け入れるかどうか」である。
現在に連なる外国人問題は、1980年代後半から人手不足による中小企業の倒産が相次ぎ、バブル崩壊からデフレが進むと少子高齢化から労働者不足が深刻化したことから始まっている。
それに対応すべく成立した1990年の入管法改正を契機に、日本の方針は大きく転換した。この改正では日系人の受け入れが可能となり、ブラジルやペルーから多くの日系移民が来日した。